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彷徨うおっさん43 原因不明な心のもやもやの正体?(1/4) 抱えている課題が多くてもやもや

 どうにも調子が悪いという日は必ずある。風邪をひいているわけでもなく、体力を消耗しているわけでもないが、なんだか調子が出ない。

 所謂、なんとなくの不調で心がもやもやして動けない時である。

 そんな時はゆっくり休むに限るのだが、我々は往々にして、気持ちを奮い立たせて無理をしたり、状況不明で感情的になったり、尤もらしい理屈に当てはめて自身も他者も勝手に結論付けたりしてしまう。
 それが返ってストレス社会に拍車をかけてしまっているように思う。

 どんな状況でもやもやするのか? どこでひっかかりやすいか? どうしたら解消するか? 慌てずにもっと深く考えてみてはどうだろうか。

 今回はそんな、心がもやもやする時について4回シリーズで、3つのもやもやする状況を例に、おっさんの経験に基づく私見から考察してみたいと思う。

1.抱えている課題が多くなってもやもや

<どんな状況でそうなるのか?>


 仕事の案件もそうだが、家族のこと、仕事外の活動のこと(ボランティアや副業)、勉強のこと、友人のことなど、思いがけず課題が積み重なってしまうことがある。
 様々な要因で予定の消化がうまく行かない。急に家や友人の問題に巻き込まれる。ボラティアなどで、あれもこれもと追加でお願いされたり、頼みにしていた仲間に手のひらを返されるなどと言った状況で余裕がなくなる。
 こんな時、モヤモヤが始まるのではないだろうか?

<どこでひっかかりやすいか?>


 どれについても言えるが、課題の見積もりを誤った時に発生しやすい。また、体力的な面と精神的な面では精神的な面の方が見積もりを誤りやすい。
 これは特に「大丈夫、なんとかなる」と自分に言い聞かせるポジティブ人間ほどこの罠にはまりやすいように思う。

 課題をこなすには、精神的リソースと消耗度合いを把握してきちんと見積もる必要があるのだが、ポジティブ思考は、その辺りを飛ばして己を信じるという暴挙に走ることもままある。

 確かに慎重になってばかりでは何もできず、若いときは成長や変化のために心の働きと逆行する行動も時には必要とは思うが、本来的には「やると決断する」ことと「問題を解決する事」ことは、どちらも一様に重要で、表裏一体でなくてはならないはずだ。

 失敗を大目に見てもらえたり、周囲の助けが十分に得られる年齢であればまだいいが、いつまで経っても、課題の見積もりを考えない、または誤りすぎるのはただの愚か者でしかない。

 また、他者依存的な人も見積もりを誤る。

 自分の見積もりも難しいが、他者の見積もりはもっと難しいものだ。他人に頼ってばかりの人はいつまで経っても他人の苦労どころか、自分の限界すら分からないので、大人になるほど課題の見積が甘くて困ることが増える。
 いい年になると立場も変わるため、そんな甘ったれた困った人だとそっぽむかれる。最後は助けを得られなくなって動けなくなり、結果、放置された課題が山のように積み重なって一人で座礁してしまう。

 見積を誤り、結果、信頼を失うと、益々課題に埋もれてしまい、毎日もやもやすることになってしまう。

<どうやって解消するか?>


結局、地道に見積もりの精度を上げる事に尽きる。

 見積は経験が多い程正確になる。先ずは独力で何事もこなしてみて、自分の限界を把握する事が肝要である。
 限界が分かれば見積もりも正確になる。

 また、独力では出来ない課題もあるが、そんな時こそ、より正確に事態を見積もる事を意識したほうがいい。

 独力でできないことは当然チームでやるのだが、極端な話、チームというのは誰かに丸投げもできてしまう。
 また、ぼーっとしているだけで思いがけず助けて貰えたという状況も生じる。
 有難いことではあるが、それで終わってしまうと、その人の以後の見積もりの精度は大きく狂ってしまう。

 チームワークでは、自分が実行していない部分の仕事についても見積もることを意識しなければ、経験として積みあがらない。

 独力の時と違って、がむしゃらに数をこなせばいいものでもなく、仲間や相手のことを自分の立場同様に考えなければ、見積の精度が下がる。
 特に年齢を重ねれば重ねるほど、他者理解の深さが問われるため、正しく見積もりができない愚か者は見放されてしまうので、注意が必要に思う。

次回に続く

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