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窓際のおっさん51 部下とは思い通りにならない手足である(2/7) 部下はそれが正しいことかどうか以上に、自身がどう扱われるかに興味がある

 前回は価値観や正解を統一すると、不自由さや不公平感が蔓延することを、おっさんの体験から述べた。
 今回はその続きとして、正解を絞るとチーム内に悪者扱いされる人が増えること、部下は正しさよりもどう扱われるかに興味がある事について述べたい。

<正解を絞ると、異なる価値観というだけで悪者扱いされる人が増える>


 前回述べた体験談のような「どちらでも構わない」と、多くの人が感じ、うまく回っていることをわざわざ統一するのは意味のないことである。
 煩いことを言わず、現場の自由に任せた方が波風も立たない。マイクロマネジメントが嫌われるとよく言われるが、正しくこうした話なのだろう。

 ルールの徹底的な統一や、個人に高水準の対応を求める指示を出すと、仕事についてこれなくなる人や、ルールを守らない(守れない)人がどんどん増えていく。

 するとそうした人たちは、無為に悪者扱いされてしまう人となる。


 新しいルールに対して、ついていけなければ「ちゃんとやっていない」「能力が低い」「間違っている」と、上役に言われてしまうこともあるだろう。
 仮に言われなかったとしても、部下一人一人は、ついていけないことへの疎外感や、劣等感を抱く可能性は高まる。

 また、繰り返すが、不公平感が蔓延すると前回述べたように、余計な気遣いやしわ寄せ仕事もそこに沢山生まれるだろう。

 総合すると上司も信頼を失うがが、部下の間でも不公平感や争いが起こるようになる可能性が高まる。

 皆が平和に一丸となって頑張れたはずが、思いがけず悪者扱いされたり、一方的に負担を強いられたのでは、人はついて来ず、チーム崩壊も近くなる。

<部下は正しいかどうかよりも、どう扱われるかに関心がある>


 細部まで正解を絞って統一していくという事は、そうした人間的なつながりをズタズタにしてしまう諸刃の剣でもある。科学では現象の再現性を追求する姿勢は大事なことで、一つづつ条件を絞って検証することもあるのだが、事務処理のようなどうでもいい感情労働の世界では意味のある行為ではない。

 価値観や正解の統一を上司が強権的に行うと、部下は蔑ろにされているように感じてしまう。そして、何を言ってもゼロかイチかの状況で、意見表明もしづらくなってくる。

 扱われ方一つで、部下の態度も変わってくるというものだ。

 困った扱い方について例えば。。。
 これは価値観の違いではなく、理屈で正しいことを言っているだけだなどと言い張ったり、意見が異なっていても上司の命令に従うべきだなどと、反発しづらい態度で押さえつけていないだろうか。
 また、そうした価値観の違いに、部下がついてこれないからといって、能力が低いなどと称して安易に部下の成績を下げるようなことをしていないだろうか。

 よくよく厳密に調べて、本当に主張した事象が規定書などに照らして正しいとして、それでも

・部下にルールを守ってもらえない
・部下にことあるごとに反発される
・しまいには部下から意見が出てこなくなった
・自分自身、殊更、指揮命令権上の優位性(上司の命令に従うべきなど)を逐一表明せざるをえない

 こうなってしまっては、正しさ以前の状況である。正しいことをしてもらうにしてももっと別の手立てなり扱い方があるはずだ。それが叶わないのであれば、部下ではなく、むしろ上司側が能力が低いのだと自覚する必要があるだろう。


 特に若い人は、強権的な態度には敏感であるし、そうでない全ての世代でも

・自身と周囲が納得して仕事をしているかどうか
・手間暇や心理面において仕事がしやすいかどうか
・単純に公平感が重視されているか
・自身が必要とされ、評価されているか

 といった感覚を会社組織で抱けないと、モチベーションはかなり低くなる。

部下は思い通りにならない手足なのだから、正しいとされる動作を厳しく云々するばかりでは、手足が痛くなるだけで終わってしまう。

 
 手足が少しでも自由に動くよう、よく観察してほぐす。そうした適切な

 扱い


 が必要ではないだろうか。

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