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彷徨うおっさん10 正しいボランティア団体の運営 (2/4)  挙手制は悪どいやり甲斐搾取

 前回はボランティアに官僚的エッセンスもあった方がいいよという話と、一方で悪い官僚主義的会社ごっこは避け、ルール、リソース、ビジョンの明確化で構成員にきちんと役割を持たせて運営すると良いという話をした。
 今回はその続きと、自発性や自主性を大事にする空気で生まれがちな決定方法「挙手制」の持つ問題について述べたい

<開示すべきルール・リソース・ビジョンはお金だけでなく多岐に渡る>


 全員の知識やスキル、目的と対外的な影響の兼ね合い、どこで実施するか、どこまで許可承諾を得ているのか、情報は色々あるはずだ。

 確かに会社ではそれらの確認追及をすっ飛ばして、下っ端はひたすら手足になるだけの場面もある。
 また古い考えでは、上司らしく振舞うことが「情報を小出しにして下っ端に頑張らせる」という時代もあった。
 だが最近は会社であっても、仕事の意味を聞いてくる若い人は多い。情報を明かさず「とにかくやれ、逐一報告しろ」の方法は、高齢で地域活動参画したがなじめないという人によくある失敗でもあるので、その点も付け加えておく。

<ボランティアだから自主性が尊ばれる?>


 ボランティアとはそういう意味であるが、一方で集まった人々の参加理由と熱量は、会社組織以上に多様でばらつきが大きい。そうした中で単純に自主性を基軸に判断するとうまく行かない。

 例えば何か必要な役割があるとして、その役を誰が担うかの打ち合わせで、「挙手制にしましょう」などと言い出してそれで終わってしまう人がいる。そして挙手がない場合はどうするかというと、ほったらかしだったりする。

 多少責任感の強いリーダーが仕切っている場合は、結局リーダーが渋々手を上げつつ、その後当面(或いは永遠に)やることになる。

 ボランティアでも組織であれば、活動をすると、その中でやりたくない仕事も必然的に発生する。会計、渉外、現場統括指揮。。。集まった人材にもよるが、大概このあたりで成り手が居なくなって運営が厳しくなるケースがあるのではないだろうか。

 リーダーが何でもできてモチベーションも責任感もあるなら別だが、そうでない場合「やりたい気持ち」ばかり先行して、団体として必要な仕事の処理を持て余す事態も珍しくない。
 持て余しているのに、尚も自主性だけで乗り切ろうとすると、仕事が永遠に片付かず、果てはボランティア内外の協力者や出資者に迷惑をかけたり、信頼を失うことにもなる。

 やむなく誰かが引き受けて不満や遺恨が発生することだってある。有体に言えばそれが「組織の寿命を縮める」という事にもなるわけだが、多くのボランティア団体はそこに気が付いているだろうか?

再びおっさんの経験をお話しする。


 以前立ち上げに協力し、所属していた子ども食堂では、会計が1年間もほったらかされていた。

 会計をやることになっていた、発起人で顔役の女性は、ほったらかしの一方で、毎度毎度「なるべく安くしてください」「その買い物はこちらでやりたいです」「レシートを写真で取って送ってください」「連絡は一つのLINEにまとめてください」など一方的な要求ばかり押し付けてきた。

 参加者もラインをやっていない人、善意で食材を買って持ってくる人、写真を忘れる人などが混じり、支出額が全く見えておらず、困惑している人もいたが、その女性は要求を守らない人にただイライラし続けているだけだった。レシートか領収書を全部控えておくようにおっさんが代わりに指示を出しても「レシートは嫌、まとめられない、LINEがいい」の一言で台無しにしてしまった。

 おっさんが「もし無理そうなら1回分休んで会計を整理するか、お役目を誰かに変わって貰ったらどうですか?」というと、その女性は「じゃあ挙手制にしましょう」と言った。

出た、挙手制

だが挙手は一向になく、1年以上会計不備の状態が続いた。

 ボランティアのお金は善意で出されたものである。いくら使ったか分からない状態は言うまでもなく好ましくない。また、会計が回っていないのに活動を続け、その不実について周囲に頭も下げず、むしろ要求の押し付けという、みんなへの更なる善意の発揮強要によって、メンバーの定着が非常に悪かった。

 自主性を尊び(というか言い訳に)、行き着く先は、無秩序な金銭管理と、重い負担への忍従になってしまった。こんな状態では余計挙手などするものか。

<挙手性は悪どい、やりがい搾取>


 要求の押し付けはやり甲斐搾取だが、挙手性もその一つだ。「この場で決めてくれとみんなに迫り、強制的に善意を引き出させる行為」である。

 「ボランティア」目的で集まった人ならば、意識も高く、挙手性にしますと言った途端に、つい使命感を発揮して挙手してしまいがちである。だがそれは、相手が望む以上に相手に善意を引き出させる、悪どい搾取なのだと、いい加減気づくべきだ。

 また、リーダーや幹部が「責任は私が取るから」「サポートはするから」などと言って、寄り添う姿勢を見せて、挙手を促す姿勢を見せる事もあるが、これも上策とは言えない。

 一見、負担軽減に見えるが、挙手した人に責任が当然伴う事実は変わらない。善意のつもりが、手を挙げやすいように誘導したに過ぎず、手が上がれば後でどうとでもなる状況でもある。引き受けた人は後になって後悔したり、揉めたり、これが結構尾を引くものなのだ。

 ではどうするか。。。


次回に続く

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