彷徨うおっさん4 病は気からの本質(後編:怪しげな施術、自己認識の欠如)
一生懸命に生きているだけなのに、もがけばもがくほど、望まぬ経験をしてしまう。こんな風に生きたい、こうすれば解決するかもと、色々試しているうちに歳ばかり取る。大概の人はそうして一生を終えるのかもしれない。けれども、その歩みの全てを否定はしない。経験はすべて肥やしだ。自分にとってだけでなく、多くの人にもそうなり得るだろう。そのためにおっさんは今日も筆を執ることにする。
前回は医者や薬を拒否する人の危うさについて語った。また、認証された医薬品以外の薬を、高額にも関わらず買ってしまう人を批判した。
前回最後の「それとも」の続きであるが、こうした行為こそがおっさんが懸念する「病は気からのもう一つの意味」である。すなわち「感情的になって本来処置すべきことをやらない結果、病気や体調不良に見舞われる」ということだ。
今回も引き続き、「病は気から」の本質について、おっさんの経験を交えて考察したいと思う。
<対処療法は対処療法、あまり効力のない施術や健康法にハマる人達>
病気以外での体の不調で多いのは「肩こり、腰痛、頭痛、生理痛、冷え性」などだろうか。医者に行くと、痛み止めや消炎剤をもらう事が多い。症状が重いと筋弛緩剤、眠れなければ睡眠薬・睡眠導入剤、ほぼプラシーボだがビタミン剤を処方されることもあるだろう。
だがこれらは対処療法で、この手の体調不良は原因を取り除かない限り、再発してしまう。
しかし多くの人は、対処療法を完治のための療法と勝手に思い込んで失望しているように思う。そしてそのまま原因にフォーカスする事なく、単に医療機関を見限り、民間療法に移行するのではないだろうか。
具体的に言うと、マッサージ、鍼、カイロと行った施術や、アロマといったグッズを試しまくるという状況だ。
これらは全く効果がないとは言わないが、所詮は同じ対処療法で、結局のところ医療以上に望むような健康が手に入る代物ではない。
むしろ医療を安易に批判するキッカケともなり、下手をするとカルトに片足を突っ込んでいる可能性すらあることを自覚した方が良い。
そういうおっさんも、若い頃に散々この手のサービスを利用して、学んだり、騙されたり、時には首を傾げたりと、色々踏んできた訳だが、幾つか体験談を話しておく。
<謎の器具や掛け軸は何のため? 気功ってなに?>
パワハラ・モラハラに悩まされていた頃のこと。両肩ガチガチで頭痛も頻発し、薬ばかり飲んでいてこれは良くないなと思い、あるマッサージのお店の暖簾を潜った。そこはアロマの香り漂うリゾート施設のような場所であった。詳しい説明は覚えていないが、奥に通され、紙パンツ一丁に着替えさせられ、オイルを用いた施術が開始された。
マッサージ自体は気持ちが良かった。誰かに解してもらうこと自体は一定の効果がある。五千円ぐらいでちょっと高いなと思ったが、たまになら良いと最初は思えた。しかし、マッサージの合間に妙なナマクラのナイフを何度も突き立てられた。刺すのではなく、先端でやや強めに押さえつけられる感じだ。リンパの流れが云々とかいう理屈だったと思うが、外科や柔道整復院での電気と違って、何の刺激も具体性もない。
マッサージで終わっていれば別に何ということはなかったのだが、何だかそのメソッドが微妙だったので二度目はなかった。
別の日、今度は按摩だったが、院に赴くと、掛け軸が吊るされていた。それはまあ店主の趣味でもあるのかもしれないが、施術中にその店主が、掛軸やらその関連の話をし始めた。内容はどこか浮世離れしていて、そして最後には妙な薬を勧められた。やはり二度と行かなかった。
別の日、気功でお悩み解決しますという場所に出会った。説明を受けて、流石に結構ですと施術は受けなかったのだが「気功は強い使い手になると電気をつけることもできる」とか、こちらは仕事上のストレスだっつってんのに「あなたの体質では気の流れがウンタラカンタラ。。。停滞して悪い気がこもってウンタラカンタラ」。全く話が噛み合わないし、これは流石に鼻白んだ。
他にもごく一般的なマッサージサービスを何度も受けた事があるが、グダグダ話したくもない会話をする施術者に当たったり、力も技もなく、殆ど撫でられて終わるケースもあった。静かで上手な人のマッサージはそれなりではあるのだが、それにしても、風呂に入って寝てしまうことの方が余程安価で時間もかからないと結論するようになり、行かなくなった。
そんなおっさんはここ10年間ぐらい、付き合いでやむなしを除いて、一度もその手の店に行っていない。
<例の不調の原因は大概の場合はストレスではないか>
肩こり他の症状の大半の原因は、心因性のストレスであると思う。冷静に原因分析し、普段の自分の行動を記録するなりして振り返れば、我慢のしすぎ、気の張りすぎ、働きすぎ、寝不足などで脳が疲弊し、危険信号を発している状態なのだと理解できる。そこを冷静に受け止められれば、原因は己に有り、その除去と休養に勝るものなしと結論できる。実際ある程度の連休休暇を強行して寝込んだり、パワハラ野郎をぶっ飛ばして大人しくさせたりすると嘘みたいに元気になる。
一方で前述のような対処療法にはリスクばかり伴う。按摩は単純にもみ返しがある。鍼は神経に効くのかもしれないが、外傷による感染症も心配。針が内蔵に及んで大事となった例もある。また、そういった院に通うだけでも、変な薬を勧められたり、グダグダと望まない会話をさせられて余計なストレスを負うこともあるだろう。ストレス由来なのに逆にストレスが増えてはどうしようもない。
医者を批判しておいて、こうした施術ばかり肯定する人が意外といるが、冷静に分析して総合すると、医者で痛み止め貰って毎日飲んでいる方が遥かにマシじゃ無いかとすらおっさんは思う。
<外傷や感染は医者に、ストレス性のものは自己認識で>
医療を受け入れ、正しい治療をするには、普段から自分の体調の変化を記録すると良い。発症前に何があったかを確認すれば、感染したとか、疲れて免疫が弱ってそうだっとか分かるので、これは医者に頼るべきだなと、すぐに判断がつく。
また、ストレス性であるならば、無理に医者に行くこともなく、ある程度は自分で冷静に原因を除去し、休養も選択できる筈だ。
いずれにも大事なのは納得いくまで医療知識を調べることと、納得いくまで普段から自分の身体を調べたり観察しておくことではないだろうか。
治らないぞと医師をやぶ医者扱いする人や、頼っておいて言うことを聞かないような人がたまにいるが、先ずは自分で自分の健康に責任を持ったらどうだろうか。
医者に怒っても解決しない。処方された薬を拒絶することは素人には無謀。
妙なメソッドを信奉しても、いつまで経っても回復しないばかりか、お金もなくなるし、別のストレスやリスクまで背負い込んでしまう。
病は気からの本質はどうやら、外的なストレスもあるが、内的な側面、すなわち「冷静さを失った挙句の自暴自棄、自己認識の欠如、感情論の導く結果」とも、おっさんは思う。
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