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彷徨うおっさん47 怒るじじいと泣く女(1/4)世に蔓延る「感情の人」たち

 人と関わっていると、予想外に大きな感情をぶつけられることがある。

 例えば小さなミス。何年か前の話だが、A4で4枚の書類群のうち1枚のたった一箇所の日付が空欄のまま上司のチェックを受けた時、たったそれだけで仕事をしていないだの、能力が低いだのとグズグズ言われたことがある。

 或いはこれは友人から聞いた話なのだが、部下がお客様対応で些細なミス
「来場者から回収する筈だったアンケートを忘れて、お客さんがアンケート用紙を持ったまま帰ってしまった」
 といった程度のやらかしをした時のこと。
 上司である友人が、怒らずに次は覚えましょうと指導したところ、その部下がポロリと涙をこぼしたとのことだった。

 前者は年配のジジイ、後者は若い女の子である。
 偏見だと言えば甘んじて受けるが、おっさんの肌感覚では、どうにも感情をコントロールできない人はこの辺りのカテゴリーに多いような気がする。

 今回は、そうした怒るじじいと泣く女について、おっさんの体験を交えながら考察したいと思う。

<怒るじじいは感情の人>


 非常に具体的な年代を言うが、おっさんより15ばかり上、バブル崩壊よりも以前に就職を決めたじじい共は、職場で、未だに臆面もなく感情的になるように見受けられる。

 ざっくり言うと昭和脳というやつで「不適切にもほどがある」でデフォルメ化された、あの価値観の一部が、その心身に残っている世代ではないだろうか。

 およその人物特性を述べると、出来ない部下がいると「教育や激励」と称して「叱責」という選択を選びやすく、うまく行かない理由を個人の「やる気」のせいだと短絡してイライラし、感情に訴えかけやすい。
 そして職場での同僚や部下との距離感も、氷河期以降の世代と比べると、近過ぎであるように思う。

 また、彼らは怒るだけでなく、よく泣いたり、笑ったりすることも特徴であるように思う。

 おっさんの体験談を話す。

 某政令市で仕事をしていて、とある研修で市長の総括を聞くことになった。
 市長の総括はざっくり言うと
「コロナで研修が思うようにいかなかった数年があり、コロナが明けてようやく研修ができた、内容も素晴らしい、感無量である。」
ということで、あったのだが。。。
総括の途中で言葉を詰まらせ、急に涙ぐみ始めた。

 市長も先刻指摘した世代の一人ではあるのだが、まったくもって感情のお人である。

 確かにコロナが明けて、ようやく研修が叶ったというのは、一応は良いことであるだろう。また、思った以上に研修発表の出来が良かったというのであれば、それも好ましくはある。

だが何故そんなことで泣く?

 動き出した研修も、発表者の成果も、あんたの涙が全部持って行ってしまったではないか。

 市長であるので、政治家でもあるわけだから、大衆相手にお涙頂戴のパフォーマンスぐらいはやるかもしれない。
 だが、それにしても内輪の、表立って選挙で応援できない職員に対して、わざわざそれをやるかねえ。。。と、おっさんは苦笑いしかなかった。

 少し話が逸れたが、係る世代の人間は、成果を上げることよりもまず、みんなと仲良く一致団結して、会社組織を盛り上げる。
 そんな価値観であるように思う。


 怒られても「先輩からの愛のムチだ」と感激して見せ、良いことや悲しいことがあると大げさに泣いて見せ、金曜日の夜になると、一緒に大酒喰らって飲み屋の姉ちゃんに絡んだりしながら、大笑いして見せ。。。

 とにかく彼らは良いことであるにせよ悪いことであるにせよ、いちいち感情を発露し、無自覚に爪痕を残そうとするように思う。


 彼らの世代は、感情的である方が人間味があって好かれた時代であったとも思う。現に、その時代に人情で、上役に選出された人物達を見ると、モロにそういう傾向が出ているようにも思う。

 だがそれで仕事ができるように見えるかと言うと。。。まあ、ちょっとねと言う感じだ。

<泣く女も感情の人>


 最初の例では若い女性を挙げたが、泣く女に関しては全世代にいるように思う。
。。。大きく出たが、正直言って女の人は随分と泣き虫に思う。

 学校でも会社でも、辛いことや悲しいことがあると、彼女らはすぐ涙を見せる。
 誰かが泣いているって? 誰だ? やっぱり女か。。。という場面はあまりにも多い。

 かつて付き合っていた恋人も、絶縁した年配の女友達も、自身の母親もまたすぐ泣く人だった。

「女の涙」うんぬんといった言葉や言い回しは、今も昔もあちこちで耳にし、多用されているが、やっぱり女はすぐ泣くように思う。

次回に続く

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