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彷徨うおっさん27 昨今の「共感」議論の危うさ(1/4)女性は共感の生き物という考えが曲者

 昨今「共感」が大事という意見を多数耳にする。
 確かに、共感は有難い。だが、共感が無ければしらけてしまう、親しい人に共感が得られないと悲しくて腹が立つ、共感の行きつく先の同調圧力や気遣いが悩ましい、果てはモテる男子は共感が上手い、できる旦那は共感もできる、といった批評論調などなど。。。
 うんざりするほど、誤った「共感」の意味や価値を煽り広めているように思う。

 正直言うと、おっさんはそんな類の共感が無かったからと言ってどうという事はないと思っている。共感は、得られないことの方が普通と思うからだ。

 相手に嫌な思いをさせないというモラル的な範囲での「共通認識」なら分かるし、その共通認識が習慣化した結果、良い悪いの感覚がつくと言う話も分かる。
 しかし、感動したり、悲しんだり、趣味などの細かい選択で「同じだね~!」などと喜んだり。一方で、批判的、問題解決的な思考、単に気が利かないだけの態度を「共感力が無い」などと、最近は否定してはいけないところまで、キツイ口調で否定するようになった思う。

 ましてその類の共感に乏しいことが、モテないだの、人間として問題があるかのような批評をする人は、ハッキリ言って思い上がりも甚だしいと思う。

 今回はそうした昨今の「共感」議論の危うさについて、おっさんの経験を交えながら考察したい。
※本稿での共感とは、心から自然と一致する共感ではなく、チューニングによる安っぽい共鳴行為やその押し付けを言う。

<女性は共感の生き物だから。。。という理論が生む男女間の亀裂>


 共感が大事とする意見を述べた書き物などを見ると、殆ど必ずと言っていい程「女性脳」「男性脳」などという言葉が出てくる。

曰く、女性は共感、男性はプライドの生き物である。

曰く、女性は共感を大事にする、男性は問題解決を大事にする。

曰く、女性の脳梁の大きさは ~中略~ 原始時代男性は狩猟、女性は採集 ~中略~ 故に男性と女性の脳は。。。

 決めつけも甚だしい。こうした根拠も薄く、安直で受け入れやすい理論が大勢を占めている世間をおっさんは嘆かわしく思う。

 それでも、そういう傾向がある「かもしれない」から長所は活かしても、短所は見直そうぐらいの話で終わるなら分かる。
 しかし残念なことに。。。

 女性とはこういう生き物だから男子諸君、もっと気を遣いましょうね。

 男性は共感が足らないと女性とうまく行かない。もっと共感力を鍛えるべし。

 といった極端な論調に流れやすく、また、本当に問題解決をしなければならない場面で、共感に係る男女論を持ち出して、心無い女性が、不確かで曖昧かつ責任回避的な流れにし、最後は感情論で男性は共感力がないなどと言って全部男の不甲斐なさのせいにするといった傾向も見られる。

 例えば、おっさんの体験を述べる。


 かつて付き合っていた女性が海外渡航するというので、ニュースで知った衛生環境や病原性大腸菌の問題を心配して言うと

「嫌な気持ちになった」「共感が足りない」
「コンゾーちゃんが嫌いでも私はその国を好きでいたい」
などとおかんむりになってしまったことがある。

 また別の女性で、おっさんが料理をしていてその女性が手伝っていて、おっさんの指示通りでなかった時、

おっさん「あ、これその切り方じゃなくて。。。いや、いいよいいよ、このままいこう、ごめんごめん。」

と、特にきつく言ったわけでもないのに、間違ったばつの悪さからか、よく分からないが急に腹を立てて、

「上から目線、共感力や想像力が足りない」

などと言われたことがある。

 また、別件で、彼女の家の冷蔵庫に2か月以上賞味期限の切れた干物が入っていて、

「これを食べるのはちょっと勇気がいるな」

と言っただけで、彼女がカンカンに怒って、ご機嫌取りに1週間以上かかったこともあった。
 この時も「共感力や想像力が足りない」と言われ、本件はお別れする直前にも蒸し返され、おっさんの共感力の乏しさを散々なまでに言われた。

 ひとまずこれぐらいにしておく。


 挙げた事例は比較的極端な例であるにしても、思うに。。。

①そんなにまでして怒ることなのか?
②大事なものを見失いすぎではないか?
③なんて自分勝手でしつこいんだ?
④共感関係なくないか?

 女性の中には、特に「共感すること=正しいこと」「共感力は人間関係で欠かせない」ぐらいに極端に決めたがる人が割といるのではないだろうか。
 身近な男とうまくいかないことがある度に「あんたは共感が足りない」と、都合よく男のせいにしたり、無理やり男に気遣いをさせようとしてはいないだろうか。

 そんなことならば、共感など害悪でしかないだろう。

<共感できなければ仲良くできないのは未熟>



 共感してもらえて嬉しい、安心するというのは分かるが、共感が足りないと不機嫌になると言うのは子供の理論であるとおっさんは思う。

 まだ発達段階にある子供に対して、あれもだめ、これもだめ、と、徹底的に価値観や行動を否定するのは好ましくないのは分かる。愛情を注いで、子供の欲求を満たし、色々と経験させて成長を促す段階も当然必要である。

 だが大人はどうなのか?

 他者との関係性を作る上では共感だけでは難しい。反対や批判も当然乗ってくる。そこに折り合いをつけることや、違っていても全然仲良くなれることを、青年期に理解し、学ばないのだろうか。

次回に続く

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