窓際のおっさん5 狩猟?ゲーム? 昭和ジジイの悍(おぞま)しい恋愛アドバイス

 会社にいると色々ある。どうにもならない事ばかりで、禄を食むためだけにひたすら受け流して暮らしている。時には反撃してみたり、動き回って相手を撃ち落とすこともあるけれど、会社全体としては何らプラスがない。それでも一筆積み上げれば、誰かの一遇は照らせるかもしれない。そんな想いで今日も筆を取る。

 おっさんの若かりし頃、職場のおっさん(今はじいさん)との会話は、気を遣う場面が多かった。参考にならない仕事の心構えから始まり、急に「そんな事ではだめだ」等とマウントが始まるパターンばかりだった。
 それが嫌で、上手くおだてていい気にさせておくと、今度は「彼女いんの」等と野暮な質問がくる。面倒なので「居ない」と答えると、結局「そんなことではダメだ」等と始まり、これまた最低のアドバイスばかり聞かされたものである。

 今回は、そんな今じゃ考えられないような悍(おぞま)しいアドバイスについて、おっさんの体験を交えながら考察したいと思う。

<それで良いのか? 既成事実の優先>


じじい「どうだい? 彼女できたのかい?」

おっさん「デートぐらいは行きましたが、そこまでですね。」

じじい「ドライブだったんだろ? そのままホテル入っちゃえばいいよ。」

おっさん「いやいや、それは無理ですよ。」

じじい「なんだよ、しようがねえなあ。据え膳食わぬは男の恥だぞ!

 おっさんと同じ世代の男なら、じじい共とこんな会話になった経験は案外あるだろう。その言葉に乗せられて既成事実をこしらえる男も居ないわけではないが、当然好ましくはない。

 昨今は同意性交などと「コンプライアンス」的観点から警鐘を鳴らす人も居るが、おっさんに言わせれば、そもそも人として、相手のことをきちんと考えているのかよと思うところである。
 大正から昭和中期あたりの大昔は、事に及べば責任問題にまで発展したものだが、恋愛至上主義的な雰囲気に包まれた昭和末期から平成初期あたり、現役だったじじい共は、既成事実の優先にあまり抵抗がなかったように思う。時代的にちょうど狭間の開放的な世代だったのもあるが、それでも体の関係から入るとなると、抵抗のある女性、後悔する女性は今昔問わず少なくはないだろう。

<いかに愛したかではなく、やたらテクニックの話ばかり>


じじい「それで、どうやって話しかけたんだ?」

おっさん「いや普通にですけど。」

じじい「そうじゃなくて、もっと女の子が喜ぶような態度とか言葉とかあるだろ。」

おっさん「まあ、そこは気持ち一つですって。」

じじい「だからダメなんだよ。もっと積極的に行けよ。良いか、そう言う時は○○に連れて行って〜、○○の時にも自分から声かけて〜、カラオケではこう言う歌は選ばないように〜。。。」

おっさん「奥様ともそんな感じだったんですか。」

じじい「いや、そうじゃなくて、お前彼女いないんだろ? だからこうやって。。。」

おっさん「まあ、は、はい。。。(何言うてんねん)」

 普通に話しかけて、普通に仲良くなって、普通に良い距離で、普通に付き合えば良いのではないだろうか。じじい共はどうにも、テクニックを駆使して女の子を捕まえる話ばかりしたがる。

 一方でどう妻や恋人を愛している(愛していた)かを語ることは全くしない。よく言えば照れて言えない可能性もあるが、真実は、かつての恋人や、現在の妻など、親しくなった女性達とそれほどまともに向き合っていないのではないだろうかとおっさんは思う。

 飯もつくらず家にも帰らず、デブってて外で酒ばかり飲んでいるじじいが、女性を心から愛する姿なんて想像もできない。時代背景とタイミングで、たまたま奥方をものにし、自分にはテクニックがありと驕り、それを持って若い奴にマウントしただけなんじゃないだろうか。

 おっさんの経験上、こうした「テクニック論議」は、女性と付き合ったことがない、あるいはごく浅い経験しかない人ほどよくするように思う。虚勢に近い感じだ。女性を愛する事はゲームや狩猟とは違う結局好かれるには相手に無償の愛情を注ぐしかなく、如何なるアプローチにせよ、気持ち一つなのではないだろうか。
 

<上手い人にナンパさせてみんなで囲って〜>

 
 少し脱線するが経験の少ない人の話で、比較的近い世代の先輩に「女性を口説くのが上手な人を一人連れてきてほしい」などと言われたことがある。
 どう言うことかと説明を求めると「上手い人にナンパしてもらって、誘った女の子をみんなで囲って、遊んだり合コンして。。。」と言うのである。
 知らない人が聞くと「集団暴行でもするのか」と疑いたくなるような会話である。これを言い出した男は多分そんな度胸すらないが、どうやらそこには旧世代のモテないジジイによるテクニック信仰の影響が見て取れた。 

 この男、40になっても全く彼女ができず、じじい共にそのことをいじられおり「もっと数撃て」だの「上手な人に教えてもらえ」だのと、言われていた。
 数撃てと言うのはあながち間違えではないが、女性に慣れたり、あくまで人対人としての関わりで違和感や緊張がなくなるぐらい経験するべし旨であることを、丁寧に説明しなくてはならないだろう。
 また、上手な人に教えてもらえもあながち間違いではないが、上手の意味をテクニックの高さと勘違いさせているのもジジイ共の良くないところである。上手とは人間関係構築能力が高いことで、妙な恋愛テクの上手さではないのだ。
 だがどうやらそれらが合わさり、(自分では集められないので)上手い人に口説いてもらい、(上手い人のテクニックを横で参考にしながら)囲って遊んだり合コンしたかったらしく思われる。まあキモいこと

<執拗なアプローチを繰り返す若手に無責任な応援をする>


 飲み会の席で、大体1人か2人ぐらいは、上記のような彼女できなくて悩んでます的な男が、じじい共にイジり倒されているのだが、同じ女性に何度もアプローチして振られ続けている困った子がいた。
 
いつかストーカーにもなりかねないような怖さを感じたものである。なにせ半年ぶりに同じ席で同じ男が同じ話をしていたのだから。

 だが結局じじい共は無責任に「積極性」と「テクニック」を連呼した。そして周りは遠慮して会話に入れず、無謀で迷惑な挑戦を否定する者は一人もいなかった。
 彼女にその気がないのなら迷惑だから諦めたら良い。女性は一人ではない。もっと色々な人と話をすればきっと振り向いてくれる人も現れる。
 色々な人との交流や愛情のやり取りを模索して人格を成長させなければ、いずれ取り返しのつかない事にもなりかねない。

 ところがじじい共はそんな教育的指導をしない。あいも変わらず「押しが足らない」とか「もっと彼女の喜ぶことをせえ」とか、無責任な事ばかり言っている。

 部下を振ったとしても、その女性は尊重すべき人間である。もっと考えてやって欲しい。それとも女性を狩かゲームの標的なり景品として見ているのだろうか。これでは、恋愛に限らず、人間をまともに扱えるかも怪しいものである。

<現在はそんな酷い恋愛ばかりしてきたやつが決定権を持っている>


 右肩上がりの時代に、競争し、ゲームに勝ち、手籠にしてでも手に入れると言う時代背景の中で生きてきた人間の生き方は、今はあまり参考にならない。
 特に人間関係の構築においては、今の若い人の方が全然上手なように思う。一部世間では今の若者に恋愛経験がないとか大騒ぎしているが、昔のじじいこそ、単に性交経験があるだけで、真っ当な恋愛経験などないように思えてならない。
 最近はだいぶ減ったが、未だに彼女がいないことをイジってマウントしてくるジジイや、時代遅れなテクニックとやらを語り出すジジイ、それらに影響された昭和の亡霊のようなモテないおっさん達は残っている。また、そう言うやつが案外年功序列で決定権を持っていたりするものだから世も末である。
 何度も言うが恋愛は狩猟やゲームではない。人間関係であることを忘れてはならない。

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