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「ありがとう」に人見知り

感情も理性も思いも全て玄関に置いて
私はお金のために出勤して
お金だけを求めて仕事をし退勤する毎日。

今日も会社から無事脱出し
自分の空間に戻れる喜びを祝うべく

お酒とおつまみを買いに行く。

先にかごにハイボール350mlを2缶入れて
おつまみ選び!

今日は久しぶりに
ポテトチップスを食べたい気分

お菓子コーナーに行くと
小学校2年生くらいの男の子が
お菓子を取ろうと、背伸びして頑張っていた。

いくらどう見ても
お菓子を取るには
あと2センチちょっとは必要に見えたので
代わりに、お菓子を取ってあげた

そしたら、お菓子を両手に握りしめて
「ありがとう」
ってお辞儀と一緒に感謝の言葉をくれた。

感謝の返しに
人生31年目の余裕を持って
「どういたしまして」って言えばよかったものを….

ただ、お酒のおつまみを探すクッタクタの汚れた社会人は
そこで、とまどってしまい
男の子に何の言葉も返せずに
無表情でその場を去ってしまった。。。。

なぜか
言葉がでなかった。
正直なところ、汚れた人間がとってもピュアな感謝を受け取ってしまったと思い
なぜか、形ない「言葉」であっても接触してはいけない気がした。

そうやって去ってからは
この子が「ありがとう」を言うのを止めるのではないかと
心配にもなった。

自分自身が惨めに思えて感謝への挨拶もできなかった。。。
ただただ、反省。

でも、
男の子が「ありがとう」を言ってくれた時に
これが生きる理由だ!
って強く思えた。

社会人になると
全ては「やって当たり前」のことで
「それ以上の価値を見出さないと価値がない」と言われ
「ありがとう」とかけ離れた日常を過ごす

「ありがとう」は感動レベルでないと出会えないような

なのに、
私にはお菓子を取るなんて
1ミリも難しくない、牛丼を食べるレベルに簡単な行為で
感謝をされるなんて。。。。。

助けを必要として
その助けが私ができる仕事で
その仕事を通して、誰かに感謝される日常

そういう日常が積み重なる人生

そうだ!それがやりたいことだ!

お金が目的ではなく
世の中に感謝されるようなことをしたい!
良い変化をもたらせたい!が目的になる人生って
何倍も楽しいんだろうな。

って
なぜか自分が恥ずかしくてなり
「どういたしましても」
も言えない
31の汚れた社会人は思った。


かかとが踏みつぶされ、すたれた、上履きのような社会人が

私にできることは何だろう



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