私はボクシングが好きだ!:日本人世界王者⑥~ 大場政夫 ~

元WBA世界フライ級王者、大場政夫。
フライ級にしては長身で、甘いマスクの大場は、ダウンされても立ち上がり、相手からダウンを奪い返すという試合がとても印象に残っている。
極貧の家庭で育った大場は、小学生の頃から「プロボクシングで世界王者になり、両親のために家を建てよう」と人生の目標を設定していた。
1969年3月3日、日本フライ級王者スピーディ早瀬にノンタイトル戦で10回フルマークの判定勝ち。8月18日、 東洋フライ級王者中村剛にノンタイトル戦で10回判定勝ち。12月14日、世界フライ級王者となったばかりのバーナベ・ビラカンポ(フィリピン)にノンタイトル戦で10回判定勝ち、世界上位進出を決めた。
1970年10月22日、世界初挑戦でベルクレック・チャルバンチャイ(タイ)を13回KOに降し、WBA世界フライ級王座獲得。
6月19日 初の国外遠征に出向き、テキサス州・サンアントニオでメキシコ同級王者ロッキー・ガルシアとノンタイトルで対戦し、ダウンを喫するものの9回逆転TKOに下した。
1972年6月20日、世界1位で最強の挑戦者と言われたオーランド・アモレス(パナマ)と対戦、1回に左を食って尻餅をつくダウンを喫し、バッティングで額から出血するなど苦戦するが、2回に右ストレートでダウンを奪い返し、5回に一気のラッシュでKO勝ちを収め、4度目の防衛に成功。
1973年1月2日、チャチャイ・チオノイ(タイ)を12回KOに降し、5度目の防衛に成功した。この試合で、初回、いきなりの右ロング・フックをまともに受け大場はダウン。この時大場は右足首を捻挫、以降ラウンド間に氷で冷やしつつ、足を引きずりながらも打ち合いに応じていった。大場は、強気のボクシングで試合中盤から形勢を逆転し、ついに12回、チャチャイから1度目のダウンを奪う。タイの老雄はレフェリーに促されるように立ち上がるが、鬼気迫る表情の大場の連打に晒され2度、3度とダウン。大場は逆転ノックアウト勝利を収めた。
大場は、自らのファイトマネーで、埼玉県に一軒家を建築し、両親に贈与した。
1973年1月25日午前11時22分頃、愛車シボレー・コルベットを運転中に、首都高速5号池袋線・大曲カーブを曲がり切れず中央分離帯を乗り越えて反対車線に出たところで大型トラックと正面衝突。大場はこの事故で、現役世界王者のまま、23歳の若さで亡くなった。
チャチャイ・チオノイ戦を、私はテレビで見ていた。右足を引きずりながら戦う大場の痛々しい姿が、今でも鮮明に思い浮かぶ。「今日は、勝てないかも」と、心配しながらこの試合を見ていた記憶がある。見事、KO勝利を収めた大場は、稀代のプロ根性を持ったボクサーだった。

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