ドイツ ルールエリアの都市再生。15年でどう変わった??ードイツまちあるき紀行1そまとめ編ー
2023年7月24日-29日の5日間、筑波大学の国際交流ワークショップ(通称サマースクール)に参加してきました。
ドイツのボーフム大学の学生たちとともにルール地方の都市を回り、現地でのフィールドワークしつつ議論していくものです。忘れないうちに5日を振り返っておこうと思います。
■ルール地方って?筑波大の国際交流WSって?
NRW州・ルール地方は、ドイツ北西部に位置するエリアで、ライン川・ルール川などの河川沿いに多くの工業都市が立地しています。中学校の地理で「ルール工業地帯」として勉強した記憶がある方も多いのではないでしょうか。
馴染みのある都市だと、サッカーで香川選手がいたドルトムント、内田選手のいたゲルセンキルヘン。またデュッセルドルフは欧州で最も日本企業が立地している都市として聞いたことがあるかもしれません。ただ、ドイツと言われて思い浮かぶミュンヘンやベルリンといった有名な大都市とは少し離れている(イメージ的にも)、「なんで夏休みでそこに行くの!?」とドイツ人から言われるようなエリアです。(実際に言われましたw)
ルール地方では、19世紀から、炭鉱や鉄鋼業で栄え、多くの都市が成長しきました。しかし、第二次世界大戦後、石炭産業が斜陽となって以降、産業構造の変化への対応を迫られます。失業者や空き家、広大な工業跡地、汚染された土壌や河川。これらの問題はもちろん都市分野への大きく影響を与えます。都市再生としてどう向き合っているのか。それを学ぶための国際交流ワークショップが筑波大学の都市計画専攻の院生の授業で2000年代から開設されているのでした。
私は2009年に学生だった頃、このプログラムに参加しています。約15年経って「あの頃見たプロジェクトがどうなったんだろう」と気になり、この夏休み、OBOGとして再度プログラムに参加することにしました。
今回は、筑波大学の院生10名弱とボーフム大学の学生約20名で行われました。ドイツの大学生は女性が多く、さらには多くが仕事をしながら大学に通っている。この2点が印象的でした。
今年度は5日間で5都市回りました。
・ボーフム
・ドルトムント
・エムシャー川流域
・エッセン
・デュイスブルグ
個別の都市の記事はまたいつか書くとして、今回はプログラム全体を通して総論的に感じたことをまとめていきます。
■2009と2023でのトピックの違い
2009年のときは
がメイントピックだった気がします。
それが今回、約15年経って、
がメイントピックになっていたように感じます。
大規模なインフラ改造のプロジェクトもまだ残ってはいるものの、「都市の中心部をウォーカブルに」という話は当たり前になっており、全くトピックに上がっていませんでした。2009はわりとよく話題にあがっていたので、もうそのフェーズは卒業した、って感じなんですかね。
でも、ドイツ人に、私から”都市空間の歩行空間化”について聞いてみると、
各都市でそのテーマにconflictが繰り広げられていることもわかったし、ルール地方はドイツの中でも、”地方部”なエリアなので住民は車に乗るのが大好き。さらにいうと、移民の人は車を買えないというエリアもあって、heavytrafficが問題でもそれが通過交通だけだったり。脱クルマ社会は日本が際立って遅れているわけじゃなんだな、と思って自信がつきました。
一方で、城壁の歴史があるだけあって、中心市街地(インナーシティ)は完璧にウォーカブルで、そのメリハリに驚きました。平日の昼間からインナーシティのオープンテラスでは多くの人がコーヒー片手に談笑していて、「まちなかは滞在する場所」という存在で人々の心のなかに確立しているんだろうなぁ。
■ドイツで何を学んだか
①ドイツが向き合う都市課題は複雑に
2009年のときは、産業跡地活用のような大規模プロジェクトの話がメイン。言うなれば都市再生や課題はハード寄りだったけれど、15年経って、今回は課題を都市の中身・人をメインに捉えられていて、複雑になってきているように感じました。(出てくる英単語も全然違った😂)
一方で、日本で課題だと思っていることは、やっぱりドイツでも同じく課題になっていました。例えば、3つ挙げてみると・・・・
◯インナーシティは小売需要の縮小
→日本も同じ課題。例えば池袋西部の話とか。都市に何を求めるのかという、根源的な問いに行き着きます。”feeling togetherness”と連呼されていて、私がよく引用するフレーズ”都市の本質は交流”と同じことなのかな、と思いました。ちなみにボーフム市の都市戦略のキーワードが”feeling togetherness”だったので連呼されていたのかも。
◯ジェントリフィケーション、移民問題
→2009より確実に進んでいた。前はトルコがメインだったのが、ブルガリア、シリア等、多くの国々からの移民で、お互い言葉も通じない。ドイツの人もそんなに話せない。教育を受けられない。”language wall”という問題。でも彼らに、教育を受けてもらって、雇うに足る人材、社会に参画するようになってほしい。そのためにどうしたらいいか。まずはneghborhoodの充実、という感じでした。
明るい光?も見えて、以前に移民してきていたトルコ系の人たちは、ドイツ語も習得して社会の構成要因になってきているとのことでした。
ケバブは 2009は2ユーロだったのが、今回は7ユーロが相場でした。ドイツ人に冗談でその話をしたけど、英語が通じませんでしたw
この移民の話は日本でもそのうち課題になってくるんだろうと思っています。一部の地方都市ではどんどん海外の方が増えていて、私が去年住んでいた小山市の築古アパートも気づいたら1/3近くが外国の方になっていました。。多民族国家のアメリカでは、英語がしゃべれない人向けにスペイン語だけのまちづくりWSをやっているなんて話もきいたことがあります。
◯環境問題
→主体になる企業が、意識を変えることから始める。人々をどうモチベートするか、ということを主張していて、モビリティ・マネジメントに似てるなと思いました。
総じて、VUCAな世界というのは同じだけど、日本は島国な分、数年後にこれらの課題に向き合うようになるのでは、と思いました。
②WSの作り上げ方
ドイツの学生たちの学び方、WSを他のメンバーと一緒に作り上げる工夫もすごく勉強になりました。
例えば、
◯ツォルフェライン(世界遺産になった炭鉱跡)の視察で、どんな企業が入っているか、チームに分かれて15分で調べてこい。
◯このステイクホルダーのなかで、誰がリーダーシップを発揮している?という問いを、👑(王冠)や⚡︎(=対立)、🤝(協力)といったマークのマグネットを使って、議論していました
◯画像・ビジュアルの力をめいっぱい活用
と学生ながらにどのチームも工夫満載で、しかもプレゼンテーションがとてもCheerful。連日のハードな行程を癒してくれる心遣いだったのかもしれません。
最終日の夜に開催された5日間の振返りでは、3部構成で、
①チーム対抗クイズ
たまにonly for japanese studentsの問題がある。普通にしてるとドイツ人の独壇場になるので。
②メモリーズ
各都市の写真や説明で使った図・イラストを見ながら、そこで学んだことを参加者から言い合う。文字だけじゃなくて、イメージで記憶を定着させる。
③key note
何が大切なことだったか。メッセージをそれぞれの担当から2,3分で発表。
という流れでした。
日本だったら③だけになると思うんだけど、①、②が入るところがアプローチがクリエイティブ。また、マグネットを模造しに貼りながら、情報を書き加えていったり、日本でWSというと付箋で意見を言い合うことが多いですが、視覚的なアプローチが多かったように思いました。何かの機会に真似したいです。
■とにかく疲れた!
あとは、サマースクール自体はかなりハードになっていて、私が大学生のときは、2週間で、わりとゆとりのある時間組みでしたが、(毎晩夜、インナーシティに遊びに出てた)今回は、スケジュールきつきつで、帰ってきたらそのままベッドに倒れ込むような日々でした。
日本人は勤勉だと言われますが、毎日昼食時間すらない強行スケジュールで、(歩きながらパンを食べる)ドイツ人のほうがよっぽど勤勉だと思いました。
毎日3万歩以上歩いて、英語の説明を聞き、(&なんとか英語で意見を述べ、でも伝わらないorz)一連の流れは相当しんどかったです。ボーフム大のウタ先生には”It’s because you became old”と言われましたが、スケジュール的な原因もあったハズ・・・笑
理解が怪しいことばかりだったので、毎日、同室だった江本珠里さんと復習、何を感じたかを話し合ってました。
■おわりに:それでもやっぱり海外はいい
プロジェクトの完成を見れたり、トレンドの変化を学べて、いつもは憧れるだけのヨーロッパのまちづくりを立体的に見ることができました。8日間仕事から離れて、他のフィールドを見ると、普段くよくよ悩むこともばかばかしく感じられて、「学ぶ」という行為の尊さを味わってきました。
英語は、2ヶ月間、毎日アプリで1時間聞いたり喋ったり、結構準備してきたつもりですが、やっぱりちゃんと伝える というところまではいけませんでした。あの頃と比べると、自分から喋りたいことがいっぱいあって、より語学力が必要ということも痛感しました。。。
現在は大学に所属していない私の参加を調整してくれた、筑波大学の藤井さやか先生が、「頑張っていた昔の自分に会ってきてね」と送り出してくれました。英語で伝えられない悔しさはあったものの、これだけ都市についての考え・主張したいことがあって15年前の自分には誇れる人生を送っていることも、感じられました。自身の定点観測の旅、という意味でも今回、渡航できてよかったです。藤井先生どうもありがとうございました!毎日楽しい復習タイムをしてくれた相部屋の江本さんにも感謝!あとは、1週間ワンオペ育児を頑張ってくれた夫にも感謝。(→来月は私がワンオペ頑張ります。)
今回ドイツで一緒に学んだみんなが、それぞれのフィールドで社会に貢献していくんだろうなと思うと、自分も頑張ろうと思えます。
長文お付き合いありがとうございました!余裕ができたら毎日のそれぞれの都市の報告を書きます〜