【シリーズ・恥から学べ②】大爆発!承認欲求!
今回は大学入学後のお話、SNSというツールを手に入れたときのお話をさせていただきます。なお、以前に別のタイトルで更新しましたが、後になって非公開とさせていただいた記事を再編集したものとなります。
まずはタイトルにある「承認欲求」という言葉の意味を調べてみよう。「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という願望、「尊敬・自尊の欲求」とも呼ばれているそうだ。人間なら誰しもが持っている欲求らしいが、私はこの感情が人一倍強かったようで、それを満たす手段の一つとして代表的なのが「SNS」だ。しかし、この使い方を一つ間違えると痛い目を見ることになるかもしれない。
事の始まりは遡ることおよそ8年前、大学1回生の春休み頃だった。このときに皆さんご存知「Twitter」を始めたが、本来であれば「日常のことを独り言のように呟く」といった使い方が正しいと思う。当時同じサークルに所属していた同期や先輩をフォローし、当初は日常の出来事をつぶやいていたが、やがて「『アイツのTwitterおもろい!』って言われたい!」とか「これで人気者になったんねん!」みたいなよこしまな考えが浮かんできたのだ。私はいわゆる「陰キャラ」「コミュ障」で、自分から他人にコミュニケーションを取るのが苦手だった。部内でも少し浮いた存在だったようで、会話についていけず輪からはみ出すことも多かった。
そこでTwitterで「これ言ったらみんなウケるやろなあ」「Twitterで会話のネタを作ろう」と注目を集めたいがために大して面白くもないツイートを連発、多い時は一日5回ほどツイートする日もあった。暇さえあれば「今度は何呟いたろか…」とネタを考える始末。完全なるスター気取りだ。コミュ障なのに承認欲求が高いとはこれ如何に。いや、コミュ障だから承認欲求が高いのか。
残念なことにここから「Twitter中毒」は加速の一途を辿っていく。個人の名前は出さないものの、「明らかにアイツのことやん」とわかるように特定の人間を遠回しにイジったり、気に入らないことがあるとすぐに「自分なんて価値ないんや…」などと自己否定に走るメンヘラチックな呟きをしたり。若気の至りとは言え、思い出すだけでも恥ずかしい。この時は自分の性格や今後なんか考えずにとにかく突っ走っていた。自分にウソをついてでも、とにかくみんなに認められたかった。みんなに愛されるキャラクターでいたかった。でも、当然ながら最終的にそれは叶わなかった。
その答え合わせをするかのように、社会人になると当時の仲間はほとんど離れていった。悲しいが恐らく今生の別れとなるだろう。彼らには会わす顔がない。SNSは承認欲求を満たすツールとして使う人も多いのだろうが、SNSを上手く使ってそれを満たすことができる人はごく一握り。承認欲求を満たせたとしても、「期待に応えなければならない」というプレッシャーに向き合わなければならない。このことから、安易に「SNSで人気者になる!」と考えるのは大変危険なのでご注意を。
そして、私にとってSNSを利用する上で一番やってはいけないと思うことが一つ。それは「不特定の人に共感を求めてはいけない」ということ。偶然誰かが共感してくれればいいのだが、そんなことは期待してはいけない。特に私のように口下手で、リアルの世界での仲間が少ない人がやると危ない。「誰かが共感してくれるやろ」という考えのもと、感情的な投稿や変な言葉遣いの投稿を繰り返した挙句、「痛い奴」「近づき難い人」というレッテルを貼られてしまうのだ。このように「誰か共感してくれよ」という出来事があった時、家族でも友達でも恋人でもいいので身近な人を一人見つけて相談相手になってもらうのがベストだと思う。生意気に言っているが、私自身は全くできていない。友達はほぼいない上、異性に対する免疫が一切ないため恋人なんて作ることは到底難しい。
最後になるが、「承認欲求が高い人」の特徴を羅列させていただく。私はほとんど当てはまってしまったが、皆さんはいかがだろうか。もし当てはまる項目が多いようであればSNSの使い方を見直すことを強くおすすめする。
・自分に自信がない
・自分の話ばかりする
・かまってちゃん
・人と比べたがる
・落ち込みやすい
まだまだあるが、代表的とされるものを挙げてみた。私自身も現在進行形でSNSをよく使っているので、承認欲求に駆られた時は本能のまま気持ちをぶつけるのではなく、一呼吸置いてから投稿するよう心がけていきたい。
次回は「勉強ができる優等生」と呼ばれた学生時代と、「勉強できてりゃ社会なんてどうってことない」と思い込み、悲劇を招いた社会人デビューについてお話したい。キーワードとなる単語は恐らく「真面目系クズ」、お楽しみに。
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