寝る

おれは寝ることが好きだ。

昔は寝る時は指を吸って寝ていた。
小4の時くらいまでやってたね。
おかげで親指は噛んでたので皮膚が固くなってたけども。

なんでやってたんだろう。

おっぱいが恋しかったから?
母親の温もりが欲しかったから?
それとも習慣?

習慣なのは否定しない。

寝る時するのは当たり前だったから

ならば、温もりがほしかったのか?
愛情いっぱい育てられてきたはずのに、なんでまだ恋しかったのか。

当時、小学校の2つのクラスを行き来してた。

つまり、特別支援学級ってやつ。

そこでは友達が出来ていた。
楽しく過ごしていた事を覚えている。

もうひとつの通常のクラスでは、馴染めていなかった。
物理的な距離感に加えて、同級生とどう関わっていいか分からなかったのだ。

だから気づかないうちに蓄積される、孤独感。

学童クラブでもこの微妙な距離感に孤独を感じていた。
その反動でお母さんに温もりを求めていた。

母親が働くから学童に行って言われて、学童クラブに入ることになった。
その時はよかったけど、問題なのはその後。

孤独感がやってきた。
もちろん、ゼロではなかったよ。

楽しいこともあったしね。

でもさ、はしゃぎ方を知らない。
同級生とわりと馴染めない微妙な距離感。

つまんなくなるよね。

だから引きこもりって言ったら変だけど、閉ざしてしまった。
自分出せない。
だから落ち着いて(たように見えて)漫画ばっか読んでたなぁ。

ドラえもんは全巻読破した(ここだけ自慢出来るwww)

それで、母親が迎えに来た時に、
楽しかった?って聞かれて、うんって答えてた。

あれ?
楽しかった…?

漫画は面白かったよ。うん。

それでも後からになって外で遊ぶようになったよ、同級生と馴染み方が分からなくて年下の子とばっかり遊んでたなぁ。

スイミングの時もそうだったし。
学童では4年生から5年生くらいまでが一番楽しかった。
おかげで遊び方を知ったし、同級生に後から追いついたって感じはある

それで話を戻すけど、
その孤独感があったが故に甘えたかったのかもしれない。

母親と寝るのはいいけど、途中でいなくなる時があったな、
それがすごく不安だった。

父親は父親で仕事ずっとしてて休みなんて合わないようなもんだったし。

土日はおじいちゃん家に行って友達ともほとんど遊べなかった。
ゆえに1人の時間が多かった。

母親に振り回されていたのか?
考えようによってはそう考えられる。

おかげで知らず知らずのうちに孤独感を積み重ねていったんだ。

だからこの孤独感が分からないまま時間が過ぎていったんだ。


しんどいなんてもんじゃない。
しんどいことも分からなかったんだ。

これが当たり前だったんだ。

じゃあそもそもなぜ孤独感を感じていたのか?

前述したとおり、学校、学童での寂しさ。
別クラスなので馴染み方が分からない。

思えば、

普通クラスに行かされてた感はすごくある。

ある意味、普通を押し付けられてた。

それを6年間やってきた。
すごく時間を無駄にしたなぁ。

それならチャンスはいくらでもあったのに。
まあいいや。

普通の押し付けってこわい。
いや、平等にしようとしていた。
今気づいた。

みんなと同じように勉強してほしいと、ある種の期待を抱いていたであろう母親。

おれはそんな期待もいざ知らず、
ただただ、流されるままに別クラスに入った。

実際やってみると、差が出てきたんでしょう。

だから別クラスにいる時間が長かった。
…楽しかったよ。

少なくとも楽しく学校に行けてたのはこのクラスのおかげでもある。

考えることをしなかったあの頃。

流されるままに生きてきた。
まるで人形じゃないか。

なんでだ?

望むものは与えられたから。
抱っこって言えば、母親が抱っこして無償の愛をたくさんくれた。
ミニカーほしいと言えば、おばあちゃんが買ってくれた。
ゲームほしいと言えば間接的ではあるけど父親が買ってくれた。

そんな当たり前。
考える必要がなかったんだ。

ちゃんとご飯があって、お風呂入れて、温かいところで寝れる。

その上で、望むものは全部くれた。

だから考える必要がなかったんだ。
一人っ子だったし。

同世代の子供とほとんど遊んだことがない。
閉鎖空間のなかにいた

子供特有の人間関係に悩んだこともなかったし、自分の世界に閉じこもってた。

だから視野が狭かったんだ。
でも、それが当たり前だった

だから、いきなり学校というフィールドに飛び出してどうすればいいのか分からない。

でも、別クラスであることを受け入れた。
何も知らなかったから。

でも、感じる別クラスとの微妙な距離感。

特定の時間の時に現れて、ほとんど会話もしなくて、時間を過ごす。
当時のみんな結構気を使っただろうな。

おれは借りてきた猫になってたよ。

ある意味その時間は一番神経使ってたかもしれない。
今考えるとめっちゃしんどいな。

それ小学校の6年間ほとんどしてたわけか。

うわー、つら。

でも、不思議と慣れてくるもので。
なにも喋らなければ無害だった。

だからほとんど相手にもされない。
おれも相手にしない。

それでも話しかけてくれる人がいた。
すごい楽しかったよ。
4.5年生の時に、ドラクエえんぴつってのが流行ってて、それで少し遊んだことがある。

すごい新鮮だった。懐かしいな。

でも、話しかけ方が分からなかったから直ぐに遊ばなくなったけどね。
ちょっとほろ苦いエピソード。

これ、典型的なコミュ障ってやつだね。
(コミュ障って言葉が嫌いだから使いたくないけど、分かりやすく言うなら。)

これで学んだのは、話しかけられるのは待っても来ないこと。
自分から行くしかないんですな

後は母親と過ごす時間が多かったので、
やっぱり母親に染まるというか、
影響受けるよね。

やればできる。いい子。
これをひたすら浴びせられた。

これはいいように聞こえるよ

おれはイマイチピンと来なかったんだ。
やればできる。
これは練習してできることに限るという気がするんだ。

例えばちょうちょ結び。

何回も練習すれば最初に比べたらマシになるよ。

でもそこに、最初に違うよと否定するのはどうかと思う。

手直し…といえば聞こえはいい。
しかし、言われた当人は最初に否定されているので出来ないと感じて、知らないうちに出来ないと思う→実際そんなに上手くいかない。

そうして、やればできるの流れ。

あれ?
違和感あるよね??
否定が最初に入ってるから知らず知らずのうちにやる気を削いでるよね??

その上でやればできるの完璧の押し付け?

おれは何度かあったなぁ。

そうか、だからおれは家の家事がしたくても出来ない。
めんどくさいのも少し入っているけど、理由の一つに否定されるからってのも入ってる。

これはおれも課題としてあって、
やらないのと素直に受け入れないところ。

どうしても反発してしまう。
遅めの反抗期。

否定されるのがやだからだなぁ。
注目して欲しいわけではないよ。

そうやって日々の積み重ねで否定がちょいちょいはいってくると本当に気が滅入る。

そう考えるとやっぱりみんなに認められたいんだなぁ。
すごいね、えらいねって言われたいんだなぁ。

自分に自信がないからさ。
そんな承認欲求。

他人に合わせる承認欲求は求められるハードルが人それぞれ違う。だからやめてまえ。
アドラーがそういってた。

だから疲れてしまうんだ。

こんなに気持ち吐き出したのは初めてだな。

鬼滅の刃の炭治郎の自分を鼓舞する、おれは凄いんだって言うのは、あながち間違ってないかも。
自分を認めることが先だから。
他人は他人の物差しなので、自分は自分の物差しで自分を褒めたっていいじゃんか。

これこら自分もっと褒めよう。

寝るってタイトルなのに寝ないでnote書いてえらい!(笑)

ここまで読んでくれてありがとうございました。
またこの長文から抜粋してもっと深堀りするつもりです。

長文読んでえらい!すごい!
みんなえらい!


おわり





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