見出し画像

夜明け前の言葉は迷子:短歌という劇薬、扉を開く

 晴れた土曜日にすべきでないことのひとつは、短歌についての本を読みながら電車で海へ行く、というものだ。

 観光客がうるさい嫌いだみんな帰れといくらぼやいたところで、観光地としてパッケージ化された場所に、よりによって週末に赴いた時点で敗北確定である。中心部から離れた砂浜で時間を潰しても親密そうなカップルは限りなく横切るし、何しろ寒い。風が強い。海からじゃなく、背後の山から吹き下ろしてくる風だ。髪がたちまちばさばさになって、剥き出しの両手が凍える。
 失くした手袋、ほんとどこへ行ったんだろう? ちょっと大きかったけど気に入ってたし、それに結構高かったのにな。

 そんな風にして、土曜日、一人で海へ行った。携えていったのは河出文庫の初心者向けの短歌本。これ以上は言わない。
 以下は読みながらスマートフォンでメモしていた内容。言葉足らずなところは少しばかり加筆してある。


 不思議な言葉のある場所へ読者を連れていきたい。現実から離れた場所へ。
 足払いをかけて担ぎ上げて頭から投げ込んだりとか、巴投げの要領とか、ジャイアントスイングとかで。
 乱暴だけど仕方ない。現実は強いから、離れるためには力が要る。


 たまには灯りに覆いをかけて、暗い場所へ暗いままに飛び込んでいくのも良いのではないかと思う。暗さを知るには暗さに立ち入るしかない。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」みたいに。


 一度縁の切れた人とまた出会う。一度縁の切れた短歌をまた詠む。一度縁の切れた本をまた開く。
 本当に縁が切れていたのか怪しい。切れていた縁が再び繋がる奇跡より、実は蜘蛛の糸より薄く細くなったまま縁が保たれていた、という解釈のほうが自然ではないだろうか(そう何度も奇跡が起きてたまるか)。もっと目を凝らすべきだった。


走り出す言葉たち、行け、行け、振り返るな、転ぶな、帰ってくるな、飛び込め、誰かの胸へ(短歌未満)


 自分の胸中を打ち明けることはときに裸を晒すより恥ずかしい。でもそこからしか生まれないものだってある。さいころの覆いを外すように、一枚引いたタロットカードを表に返すように。
 助走をつけた言葉たちのために扉を開けてやるように

 寝る。


おまけ。
走り出す言葉たちのテーマ曲。