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今日2023/04/06

今日は母親の誕生日だ。


Evernoteのタイトルで適当に「今日」と入れたら、iPhoneの文字変換が勝手に2023/04/06と表示してきた。


どこか見覚えのある数字。あ、母親の誕生日だ、と気づく。


母ではなく、母親、と書くのは、なんとなく私の中で、母、と表記するのに抵抗があるから。一文字分の距離を置きたいからだ。


父親にもそうで、父に関しては、実父、義父、という表記なら、さして抵抗はない。だからやっぱり、一文字分の距離、が、私にとっては必要なものなのだ、と自覚する。


3人とも、もうお空の上の人なので、実質的にも距離はもう必要ないはずなのだが、心の中ではまだ、その存在の圧に、少なからず私は影響されているということだ。



父親がいて、母親がいて、私が生まれた。


これは紛れもない事実で、やはり感謝の対象たりうる。いや、感謝しないといけないし、実際感謝している。どんな紆余曲折あろうとも、私が生まれてきているという事実には、母親の強い意志があったのだとも親戚の叔母からは聞いている。

父親は当日浮気をしていて離婚を迫っていて、母親の腹を蹴って私をおろそうとしたそうだ。母親の妹である叔母のいる実家に、それで逃げてきたことがあった、とも聞いている。


後日、私が生まれてからもその浮気は続き、帰ってこなくなり、相手が自分と同じ名前の女で、私が生まれた半年後にそちらにも子供が生まれたと言うことで、結局諦めて母親は二年後に離婚したそうだ。実父はその後、元妻と同じ名前の女と再婚し、母親も義父と出会い再婚し、弟を産んだ。


生涯死ぬほど憎み続けたと言う母親の元夫であった私の実父だが、私自身も、彼が死ぬまで会えなかった。会ってみたい気持ちはあったが。


それでも、それでもだ、それなりのことを過去、わけありの夫婦はして、それなりの結果として私が生まれた、ということは、今の私にとって、感謝に値する快挙なのだ。


「親ガチャ」に外れた、と言う言葉を、少し前からよく聞くようになったが、「国ガチャ」で言ったら、私は大当たりだと思っているので、プラマイ結果プラス、だろう、と。


どんなに素晴らしい「親ガチャ」を引いても、それが某国、とか、某国、とかだったら、今の私の暮らしはない。


親、よりも、国。

国、プラス、時代。


同じ日本でも、戦争中に生まれたら大変だったし、男に生まれても、女に生まれても、常に命の危機に晒されていた筈だから。



なので、父親と母親には、感謝している。
好きか嫌いか、とか、性格や考え方が合うかどうか、私に対しての言動はどうだったか、などの、行動面や感情面、でのことは別として。とりあえず私をこの世にポンと産み出してくれたことは、本当に奇跡的快挙であると思っている。


もちろん今後の歴史は知らないので、最後までオールオッケーではないかも知れないが、少なくともこの国で、紆余曲折ありつつも衣食住には困らずに生きてくることができた。ありがたい。



いま、平日の昼間から、布団の中で、ぬくぬくとこれを書いている。


今日と書いて、2023/04/06と表示される、今日という日は、私の母親の、私を守って(父親の浮気を止めて引き止める意図もあったかも知れないがそれでも良い)私をこの世に生み出してくれた母親の誕生日。これを思い出すことができた日になった。


去年のこの日は、母親の納骨式だった。

多摩霊園に桜吹雪が綺麗だったことをよく覚えている。


あまり悲しくないのは、生前ずっと、親子としては、全くと言っていいほど心が通じ合わない間柄だったからだろう。


二十代で実家を出てからは、勘当状態だったし、多少関係が緩和されのは五年前に寝たきりになって入院してからで、いろんな意味で、親離れも心の準備もできていたから。母親と最後までべったりだった弟の方が、もっと寂しい気持ちはあるだろう。

愛情や思い出があって、いつまでも別れに辛い思いをするのと、その反対と、どちらがよいとも言えない。でも悲しみの感情に極端に弱い私としては、これで結構助かっている。


ちなみに、母親の再婚相手である義父と私とは、弟が生まれる少し前から上手くいかなくなり、無視されてほぼ会話をすることもなく、家を出てから亡くなるまで勘当同然にされて会うこともなかったので、やはり亡くなった時も、悔しくはあったが、悲しい気持ちにならなかった。母親は死ぬほど悲しんでいたし、溺愛されていた弟もショックを受けていたが、私は別の世界の話のように感じていた。


実父に関しても、去年の秋、結局一度も会えないまま、亡くなったと知らせだけをもらったが、顔も見たこともないと、やはり悲しみに襲われることもない。こんなもんなのか、と感じているだけだ。

ただ、一度くらい会いたいと五年前に親戚からつたえてもらっていたのに、結局連絡が来ないまま亡くなられたことに関しては、残念な気持ちはあった。ありていにいうと、彼の生涯は、私にとっては、最後までどうしようもない父親だったな、という感想のみ、になってしまったので、それが少し残念だ、という気持ちだけだった。


こんな私でも、可愛がってくれた叔母や祖母が亡くなったことは、今でも悲しいし寂しいので、特別に冷たい人間、というわけではないと、ある意味安心している。やはり肉親でも他人でも、生前の情の通わせ方や、共に過ごした時間、自分自身にとっての良い影響力があることが、一番愛情には作用するのだろう。そして、その愛情という「情」と、別れの悲しみや喪失感というものは、ほぼ正比例なのだ。


でもまあ、とにかく、

時代ガチャ、国ガチャ、は、宝くじ並みの大当たりだったので、親ガチャぐらいは少々思うことはあっても目を瞑って、やはり感謝の気持ちを、今日くらいは持って過ごしたいと思う。


ダラダラとぬくぬくと、家で自由な時間を過ごせるのも、両親が私を平和な国に生み出してくれたおかげだ。そして生み出してからもその辺に放置したりせずに、どちらかにしろ衣食住を与え続けてくれて、生命活動に支障ない年齢に成長するまで、育ててくれたおかげでもある。


私は、どうしようもない2人の性質を受け継いでいるはずで、同じく素晴らしい2人の長所も受け継いでいることだろう。材料と時代と国は良い筈なので、後は自分で楽しく生きていくことだけだ。 両親や義父には、気が向いたら私と孫子の代までそれぞれ天国から見守ってくれたらいいなと願っている。


そして、母親にも、空の上では、もう憎しみを捨てられていて、仲良くとまではいわずとも、父親とも私の親同士として、やさしい気持ちで許し合い、お互いの人生を労い合っていてくれたら、幸いに思う。あとは先に行っていた義父と仲良くやっているだろうから心配はしていないし、義父にも、今後とも母親をよろしくと願っている。母親は義父にベタ惚れだったから。



ではでは、母殿。お誕生日おめでとう。産んでくれてありがとうございました。あなたの娘より。
                 かしこ