とっさに嫌って言えなかったの何回め?

今日仕事をしていて、1週間くらい前の出来事について「あれ嫌だったんだな」とやっと気づいた。気づいてあげられなくてごめん…(自分に)


「怒る瞬発力」ってあるよね。一連のツイートに波風立てない伝えかたの例がいろいろ出ていてよかった。




1週間くらい前、よく編集者がいるバーみたいなところで(バレる?)ある編集者と仲良くなって。いや、仲良くはなってない。5分くらい話して。

もう帰る間際だったから、駅まで一緒ですねみたいな感じで、その人と店を出たの。ちなみに必要な情報かはわからないけど、おごってもらったりはしてない。しないようにした。


道中、好きな映画とか漫画とか作家の話をして、川上未映子の話やフェミニストの話(わたしは別にどっちのスタンスとかないけれど)になった。お互い、一から説明しなくてもぱっと話が合って、同じような文化的土壌をもってるなーってなる。

なったんだけどね。

ちょっと暗いところに入った途端に、両手でわたしの両側の二の腕を揉みはじめて、文脈なさすぎて「!? 誰か違う人?」ってなった。混乱していたらそのまま抱きついてきて、顔が近づいてきて、マスクしててよかった瞬間ナンバーワン。

なんかさ。20分前くらいまで他人だったんだよ。いつ、どういう理由でそういうことしていいと思ったんだろう………


しかも、歳もそう離れていない(からいいと思ったのか?)そこそこ話の合う人間に。


わたし、川上未映子読んでたり、小野美由紀の『ピュア』よかったよねみたいな話してたから、彼のこと信用しちゃってた。あの作品いいって言ってたら悪い人じゃないよね、みたいに思っちゃってた。違うよね。違うけど、かなしかった。


例えば『聲の形』に感動して泣いた人はみんないじめをしない、なんてことはない。その作品に感動して泣いたって、同じようなことをする。作品がいいと思うことと、自らの行いは別だ。

わかってたはずなのにな。この作品に泣くってことは悪い人じゃないんだろうなって、簡単に人を信用してしまうところがある。


仮に同じような感覚の部分があったとしても、全部自分と一致するわけじゃない。ベン図のかぶるところが川上未映子だっただけで。あーあ。これでもか、これでもかと何度も思い知らされる。何回がっかりしたらいいんだ。


「ちょっと、まだはやいよ〜」みたいなことをにこっと笑って言って、明るいところに避難。なぜ「まだ」とかつけて、相手を傷つけないようにしないといけないのか。かなしかったのはわたしのほうだよ。えーん(泣いた)

一対一の場でわたしがブチギレて、ブチギレ返されたら、腕力で惨敗だからね。そういうかなしい学びはこれまでに得てきたよ。


「ふれあいコーナー」のうさぎとかも、ほんとは知らない人に急に触られたりするの、ストレスだよね………(?)


急にふれあいコーナーのうさぎに思いを馳せて、ターンエンドです。

これも似た話だ。嫌だった気持ち、どこにいくんだろう。積もって元気が出ない。



急に雨が降ってきた時の、傘を買うお金にします。 もうちょっとがんばらなきゃいけない日の、ココア代にします。