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親友が母になった

6月下旬、親友が母になった。
よくよく考えてみると、私も良い大人ではあるが『人が母になる瞬間』をこんなにも身近に感じたのは、この時が初めてだったかもしれない。

実際、彼女と出会ったのは3年程前のことである。しかし彼女と過ごした期間の濃さは、体感でいうと10年分くらいは過ごしたように思う。

彼女と出会うことになった3年ほど前、私は転職に失敗して毎日泣きながら会社に行っていた。
空気も澱んでいるし、周りに座っている人も当たりが強い人ばかりで、私にとってそこは知り合いが1人もいない学校の教室のような孤独感に苛まれていた。
この世の優しい人は全員どこかへ行ってしまったのでは無いかと、そんな錯覚をするような孤独感だった。

そんな地獄会社の、遠くの席で仕事をしていたのが彼女である。
初めて喋った日のことはハッキリと覚えている。
何故か当たりの強い先輩にランチを誘われてしまい、断る術もなく着いて行くと、そのグループに紛れていたのが彼女だ。
案の定盛り上がりに欠けたランチ会だったが、彼女だけは忖度なく私に話しかけてくれた。
実は彼女もまた職場に馴染めていなかった。しかし泣きながら会社へ向かう私とは違ってそんな素振りは見せず、コッソリ体調を崩すような人だった。
初対面の人には必ず疑いから入る捻くれた私でも、この人が良い人だということは流石に気付いた。

私は結局、1ヶ月も経たずその会社を辞めた。
退職を決めた日は元恋人にドロドロの浮気をされて別れた数日後で、まさに全てを失った女だった。
しかしこのタイミングで全てを失ったからこそ、彼女と仲良くなれたのも事実である。
今思うと、悪いものから断って、かけがえの無い友人を見つけ、非常にコスパの良い1ヶ月でもあった。

彼女はいつもコッソリと体調を壊したり、不遇に当たりやすい人だった。
自分を大事にするのが苦手でもあった。
しかし何処か、ドッシリとしていた。
肝が据わっているようにも見えたし、何かを諦めているようでもあった。

仲が良くなるにつれて、彼女の人生は思っていたよりも壮絶だったことを知った。
恋愛もそうだし、後々分かるが家庭環境もそうだった。
そして私と仲良くなってからも尚、不遇に苛まれていた。私も不遇な時だったので、お互い傷を舐め合って、ギリギリ笑って生きていた。
ギリギリ笑って、なんとか一緒に這い上がった。
そうして毎日を過ごして行く中で、彼女は親と仲良く無いことも話してくれた。
それはまた、ここに書くのは忍びない程、彼女の両親は曲者だった。

私も彼女も不遇だった時期、彼女ともう1人の友達と、毎晩3人でたられば娘のように遊びまわって、誰かの家に泊まり歩いた。
あの頃はほんの短い期間であったが、今思い出しても最高だ。
不遇なのに、何故だか最高だった。
皆、恋愛から休憩して友情だけで日々を過ごしていた。
あの時と同じ清々しさは、きっと今後味わうことも無いだろう。

そんなある夜に、今日の宿泊マンションへ向かう途中、彼女はポツリと呟いた。
「いつか子どもは欲しいけど、母のようになってしまわないか不安だ」と言っていた。

彼女の母の話は聞いていたので、私はその不安な気持ちが頭に過ぎることを否定できなかった。
ただそれはまだ『非現実的』な会話だった。
例えるなら「月にウサギがいたとして、私たちは会うことができるんだろうか」とか、
「もしもAIが人間より知能を持ち始めたらどうしよう」とか、それくらい遠いもしも話だったのだ。

そんな果てしなく遠い話をしていた1年半後に、私は何故か結婚をしていて、彼女は妊娠をした。
時の速さとは恐ろしいものである。

あろうことか、私が彼女の妊娠を知ったのは
渋い町中華屋でレバニラ炒めを食べている時だった。
そろそろ彼女も結婚式の段取りを進めるという話をしていて、どうにもスケジュールが駆け足だった為、その話になったのだ。
「妊娠した」と言った彼女の言い方は、随分昔からこうなることを分かっていたかのようにあっけらかんとしていた。
私も一旦台湾ラーメンを啜っていたかもしれない。
それくらい、自然な口調だった。
しかしあの瞬間私は突然月でウサギを見かけ、AIが人間を操りだす世界へ飛び込んだのだ。

彼女が母になる。

十月十日と言うけれど、私の体感ではもっと早く彼女のお腹は大きくなっていった。
しかし目に見える程母になっているのに、私はどこか実感が湧かずに月日を過ごしていた気がする。
旦那ですら生まれるまで実感が湧かないと言ったりするのだから、友人なんてそんなものなのかもしれない。
しかし今までに無いビッグイベントに、ソワソワしていたのも確かである。

彼女が出産を迎える直前、私は彼女を主役にしたマタニティムービーを撮影した。
友人であり、ビデオグラファーをしている私が彼女にできる、ささやかなお祝いのつもりだった。
その日、私は将来の子どもにも見せれるよう、今の気持ちをインタビューして音声も残すことにした。

実に出産4日前のことだった。
本来、そんなギリギリな状態でマタニティムービーを撮ることなんて無いのだが、色々あってこの日になった。
妊娠を経験した事がない私からすると、出産の直前なんて怖くて不安で仕方ないと想像していた。

しかし彼女は出産について
「数日後絶対に痛い思いが待ってるってドキドキするけど、それが終わればお腹の子に会えるから、それは楽しみかな」と言った。

これは間違いなく母になる彼女の本音だった。
この世で色んな媒体で「死ぬほど痛い」と言われている出産も、それを上回る楽しみがあるのだ。
それが母なのだ。

私はこの瞬間、彼女が母になることをようやく実感した気がした。

それから私が出来ることは、無事に産まれた報告を待つことくらいだった。
しかし私は、これから彼女が幸せになることを影ながらサポートしてあげたいなと思った。
彼女はやっぱり里帰りをしない選択肢をとった。
彼女の配偶者はとても彼女思いなので、きっと2人でも乗り越えれられるとは思う。
しかし本来親が仲間に加わると出来るであろう子育ての余白は、彼女たちには無いかもしれない。
それなら私は友人として、彼女たちが子どもに注ぐ愛情を第三者として思い出に残す手伝いをしたいと思った。

6月下旬、彼女は無事に出産を終えた。
連絡が来て1番に出た気持ちは安堵だった。
生まれてすぐの家族写真は、本当に痛い思いをしたはずの彼女も、嬉しそうに笑っていた。
彼女の旦那さんも嬉しそうに笑っていた。
真ん中にいる赤ちゃんは、何も知らなそうに泣いていた。
あんなにも幸せそうな彼女の表情を、いや、あんなに幸せそうな写真を私は初めて見た。

彼女が出産を終え暫くした頃、私は初めて母になった彼女に会いに行った。
知っている家に、知っている夫婦がいる。
見慣れた風景なのに新しい家族が加わって、主人公が2人ではなく赤ちゃんになっているのが、
なんだかくすぐったかった。
私は思わず「うわあ〜」と小さく、感嘆の声を漏らした。
今思えば、小さな命の存在があまりにも大きく見えて圧倒されたのだと思う。

彼女は、真っ直ぐ赤ちゃんの目を見つめて微笑んでいた。
「毎日寝不足でつらいよ」と言いながらも、赤ちゃんを見る目はしっかり母親で、
私は親友が母になった瞬間を間近で感じた。
それはやっぱり、以前とは違う心強い表情だった。

私はニューボーンのムービーも撮って、1本の動画にして彼女に贈った。
動画を編集しながら涙が出そうになるくらい、彼女たちは幸せそうだった。
私は彼女たちの笑顔を守ってみせるほど強くも偉くも無いけれど、
これからも笑顔の彼女たちは思い出に残してあげたいなと強く思った。

もうひとつ余談だが、彼女は出産前、どん被りしてしまった私の結婚式にも来てくれた。
元々彼女は「這ってでも行く」と言ってくれていて、当日大きなお腹で本当に来てくれた。
途中で休んで良いように言っていたが、「休むなんて勿体ない」と言って最後まで私の結婚式を見てくれた。
彼女はそういう人なのだ。
自分を大事にするのが得意では無いかもしれないけれど、人に優しくすることが得意な人だ。
そんな彼女が母ならば、真っすぐで優しい子どもが育つに違いない。

ここ最近私達の会話も彼女の子どもの話が多くなったが、
不遇だったあの頃からは想像がつかないくらい彼女は幸せそうで、
私はとても嬉しく思う。
私達はこうして、時を過ごしてまた会話も変化していくのだろう。
しかし私達の関係性は何ひとつ変わらない。
彼女は母になったが、私にとっては変わらず親友だ。



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