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アメリカの小学校に通ってみて、感じたこと

こんばんは。
前回に引き続き、私の生い立ちをつらつらと語っていきます。
今回は、アメリカの小学校に転校して感じたこと編です!!

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先にアメリカで家探しをしてくれていた父親と合流し、私たち一家のアメリカでの生活が始まった。

親の計らいで、私は現地のカトリック系の私立小学校に通うことに。
公立小学校はやはりいろんな生徒がいるので、英語も話せない私が通うとしたら、そのほうが色々とやりやすいだろう、と親は考えたらしい。

その甲斐あって、その小学校には、とても育ちの良さそうな小学生が集まってきていた。人種も様々で、同じアメリカ人でもインド系、ユダヤ系、アジア系、イスラム系など肌の色や髪の毛の色も千差万別。
「英語の話せない日本人が来た」と疎まれたらどうしよう、と思っていたが、周囲からは特に気にされることもなく、それどころか進んで話しかけにきてくれる生徒もいた。
最初のうちは私も英語が分からなかったので、別の教室で特別授業を受ける毎日だった。その時の先生がとても優しかったことは、今でも忘れられない。そして、私は3ヶ月もすると英語がわかるようになってきた。

他の生徒と同じ教室で授業を受けられるようになって感じたことは、本当にいい意味で、みんな周りのことを全く気にしてないなーってことだった。
日本だったら、授業中は行儀良く席に座り、先生の話を静かに聞いていることが普通だと思っていたが、アメリカでは授業中に手も挙げずに生徒がどんどん喋りだす(笑)。また、すごい音を立てながら鼻をかみだしたり、りんごをかじり始める生徒がいたり、本当に自由。
先生に関して言えば、教師は授業中ずっと立っているのが普通だと思っていたが、急に教卓の上に腰かけながら話しだす先生がいて、なんと大胆なんだと思わず笑ってしまった。
先生も生徒も、全く周囲にどう思われるかなんて気に留める様子もなく、自分がいいと思うことをそれぞれ自由にやっているのを見て、" freedom (自由)" とはこういうことか、とアメリカの偉大さを感じたのを覚えている。

私にとっては、こんな小学校の日常でさえも、毎日びっくりの連続。
当たり前は人によって全然違い、そして違うということが当たり前の世界は、なんて生きやすいんだろう、とも感じた。
誰かにどう思われるかなんて気にする必要もなく、むしろ自己主張してこそ、評価される世界。

日本人だからと自分を特別視しているのは、むしろ私だけだと気付いた時から、私のアメリカでの生活は、とても楽しいものに変わった。

気を遣う必要はないなと、どんどん自分の個性を出していったのが良かったのかもしれない。友達も増えて、休憩時間はキックベースや鬼ごっこ、アメフトやバスケなどで男女問わず思いっきり遊び、授業にも問題なくついていけるようになった。今思い返しても、嫌だな、という人は周りに全くおらず、先生にも友達にも恵まれた幸せな時間だったと思う。

ちなみに、算数に関していうと、日本の小学生のレベルはかなり高いらしく、小学校3年生で九九が完璧に言えるだけで、クラスではヒーローになれた。算数はすぐに楽勝なレベルであることが分かり、苦戦したのは理科と "drama" の時間だった。
"drama" の授業は、生徒の感性を高めるためにあるらしく、日本でいうと・・・なかなか何とも置き換えがたい時間だ。

「さぁ、今からピザ屋になってみましょう!!」
そんなお題が先生から出されると、生徒全員がその場でそれぞれ架空のピザ屋になる。生地をこね始めたり、ピザを焼き始めたりとそれぞれ思い思いにピザ屋を実演していくのだ。
もちろん、初めてこの光景を見た時には、「この人たち、頭おかしいんじゃないの?」とドン引きした(笑)。何の道具もシチュエーションもなく、そんなにも簡単にピザ屋になり切れるみんなの感性に、私はついていけなかった。しかし、今思えば、そんな素直でピュアな教育が、自由でクリエイティブなアメリカ人の発想を育てているのかもしれない。

アメリカの小学校に通ってみて、日本との違いをたくさん体感し、「世界は広い!私が普通と思っていたことが、世界では普通でないことの方が多いんだ」という大切な価値観は、ここでしっかりと育まれていった。

次回も、お楽しみに!

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