見出し画像

藤井このみってどういう人?

こんにちは、藤井このみです。
今更ながら、藤井このみって一体どういう人?と思いながらこのnoteを開いてくださる方もいらっしゃるようなので、ここに情報をまとめておきます。

愛知県名古屋市生まれで、両親、兄がいます。
小学校2年生の時に、父親が仕事の都合でアメリカに転勤が決まったため、家族4人でアメリカに移り住んだ経験があります。
その時の自分の心境の詳細はこの記事にまとめているのと、アメリカに行ってからの体験は自分史にいくつか記事をまとめているので、お時間に余裕のある方は、ぜひご参照ください。

中高は逆カルチャーショックを乗り越え、バスケに打ち込む

アメリカで小学校を卒業し、日本へ帰国した中学1年生の夏、
愛知淑徳という、中高一貫の女子校に編入試験を受けて入りました。
アメリカでの生活から一変し、全員女性でしかも同じ制服を着て教室にきちんと座って授業を受けているという事実が衝撃的で、当時は逆カルチャーショックを受ける毎日だったと記憶しています。
また、私はアメリカで兄の影響で始めていたバスケを本格的に続けたいと思い、バスケ部に入って練習を重ね、中学3年生ではキャプテンも務めました。
高校でももちろんバスケ部に入りましたが、中学の時とは打って変わって基準が違い、先輩方が県大会ベスト4に入るほどの実力校だったので、練習中の雰囲気、顧問の先生の厳しさも段違いでより一層バスケに打ち込むことになりました。クラスの人間関係で悩むことも多々ありましたが、バスケ部の練習が面白かったので、なんとかやってこれた高校時代だったと思います。

大学で開放された、海外への想い

大学は、第一志望だった、筑波大学国際総合学類に入学。
ずっとセンター試験の模試でD判定だったので、もちろん前期のセンター試験では落ちていたのですが、あきらめずに後期入試に臨み、面接でなんとか入学したい想いを熱弁したのが良かったのかもしれません。
学力的にはギリギリアウトでしたが、背伸びして入れてもらった大学で、たくさんの優秀で信頼できる友人に出会えました。

同じ学部の同期たちは、留学生ももちろんいましたし、日本人であっても私と同じく帰国子女だったり、中学高校で留学経験があったり、中には生まれてほとんど海外育ちだったりする国際色豊かなメンバーが多く、とても刺激的でした。
中高時代、「アメリカ帰りだからと言っていじめられないように気をつけなさい」と親に言われて縮こまっていたところがありましたが、この大学に来て「もうそんなこと気にしなくていいんだ」ととても開放された気持ちになったことを覚えています。

大学3年の夏休みには、ボランティアのためアフリカのタンザニアにも赴き、そこで人生観が変わったのが、今の自分にも活きています。
のちに諸先輩方にたくさんの問いかけをしてもらい、言語化できるようになった想いは、「日本人としてもっと日本を好きになれるように、自分が一生懸命に生きよう」というものでした。

社会人1年目の終わり頃、衝撃的な出会いが人生を変えた

この想いがまだ言語化できていない頃の私は、
新卒で入社した会社で、がむしゃらに働いていました。
「一生懸命働いていれば、きっともっと大きなことができる自分になれる」と信じていたからです。
しかし、いくら頑張っても理想の自分に近づいていく手応えがないかもしれないと思い始めていた頃、大学の先輩との再会がありました。
留学をされていたので、私と同じタイミングで社会人になったはずの先輩が、たった1年でものすごく魅力的に変化されていて、衝撃を受けたことを覚えています。
「なんでそんなに変わったんですか?」と聞くと、
「今こんな目標に向けて頑張ってるから」と私よりはるかに生き生きと、将来に対して期待を持って努力していることを語ってくれました。
ぶっちゃけ詳細は覚えていないのですが、その時に「(会社ではなく)自分の目標を持つこと」と「未来に期待を持って努力すること」の大切さを教わった気がします。
当時の私は、もちろん仕事ができる人になりたいというポジティブな想いもありながら、ただ目の前に膨大な業務があって追われているという感覚や、会社の先輩に怒られたくないという想いから仕事をやることも多かったです。でも、目の前の先輩は、もっと主体的に自分の人生を考え、目標を打ち立てて具体的に努力しているということが伝わってきて、これはたった1年でえらい差をつけられたのでは?と半ば焦りを感じたこともよく覚えています。
この再会をきっかけに、私は自分の将来についてもっと真剣に考えようと自分に向き合う姿勢を改め、具体的に考え始めました。その結果、もっとやりたいことやほしいもの、なりたい自分の状態の全部を手に入れられる自分になるために、努力の方向性をぐっと変えていこうと舵を切ることになりました。

フリーランスを経て、会社設立へ

それからの私は、決してもともと独立願望が強かったわけではありませんが、時間やお金を自由に使える自分になりたいと思い、仕事の進め方やコミュニケーションの取り方はもちろん、自分の力で会社経営ができるようなメンタル面(考え方、価値観)を先輩経営者に教わりながら、鍛えてきました。いきなり勤めていた会社を辞めるわけにはいかなかったので、最初の数年は会社勤めと平行して準備を進め、個人で仕事を請け負わせてもらえるような信頼関係を築けるようになった状態で、フリーランスとして営業の仕事もできるようになりました。
それが安定してきた状態で、勤めていた会社を辞めて、法人化をしたという極めて慎重派の立ち上げ方を経験してきましたが、だからこそこんな自分でも実現できたなとも感じています。

目指し続けられることに感謝!

そして、大事なことは、会社設立がゴールではなく、
あくまでスタートだということです。
私の会社は今年で4期目を迎えますが、もちろん常に順風満帆というわけではなく、正直この1年は大変なこともたくさんありました。
ただ、そんな中でたくさんの先輩と仲間たちに支えられ、また高みを目指し続けられていることが本当に幸せだなと感じています。
今は自分の会社のメインとなっている営業代行業を主軸としながら、今後日本や海外の魅力を発信できる実店舗の経営ができるように今から準備を進めています。
私が目標達成が大好きですが、達成までの道のりに失敗や挫折があると思うと、本当にすべてが面白く感じられるものです。常に今あるものにも感謝をしながら、今後も精進していきます!


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?