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アフリカ・タンザニア体験記⑲

私は、20歳の時にアフリカのタンザニアに1カ月間滞在しました。
なぜアフリカに行こうと思ったのか?その経緯は下記の記事に綴っています。
20歳で経験した、初めてのアフリカ
前回に引き続き、タンザニア滞在中に書いていた日記の内容を、備忘録までに、原文のままここに転記していきます。
18回に渡り投稿してきましたが、なんと、今回がラストです。

これからアフリカに行くことを検討している方や、アフリカに興味のある方に、何かしらお役に立つことが盛り込まれていたら嬉しいです。

2005年8月5日
~cup of tea~
タンザニアでもインドでも、よく飲んだチャイ。
お茶を飲んでいると、ゆったりした気分になれる。この感じが好き。
急いでいるとき、焦っているとき。とりあえず、チャイを片手にゆったりした時間をとってみる。これって日本に帰ったら難しいのかもしれない。
でも、私もやってみたい。
とりあえず、帰ったら紅茶の茶こし器?を買って、毎日自分と向き合う時間、お茶を楽しむ時間を必ず作ることにしよう。

今まで、私は”人と関わること”から逃げていた気がする。
ある人と向き合って、自分をさらけ出す。
人間として、互いに向き合う。
そんな当たり前のことが恐くて、どこかで後ずさりしていた。そんな気がする。
人間は、開発が進むと人と関わることから遠ざかっていくと思う。
例えば、日本の市バス。
普通は、自分の降りるバス停の手前でボタンを押して、運転手に自分の降りる駅を知らせる。
でも、これってどうしてなんだろう?同じ空間にいるのに。
一言、「降ります」って言えばいいだけなのに。
その空間を全員で共有していない証拠だ。その中の一人が声を出して運転手に知らせる行為は、他の人にとっては関係のないことで、一人が大声を出すことも恥ずかしい感じがしてしまう。
ダラダラ(タンザニアの市バス)は違った。
「スーパーマーケットの前で下ろしてちょうだい」
「もうちょっと先だよ」「私もだ」
こうやって空間を共有していた。
公の場での空間の在り方が、開発が進むことによって変えられてしまうんだろうか?
何もこれはアフリカだからとかじゃなくて、日本国内でも、農村とかに行けば同じなのかもしれないけれど。
日本のもっといろんなところを知らないと何とも言えないなぁ。。。

ムンバイ(インドの都市、タンザニアから日本へ向かう飛行機のトランジット先だった)の印象は、タンザニアよりかなり悪い。
まず、交通状態の悪さ、ストリートチルドレンの多さ、、、
人のことはあまり分からない。今日はいろんなところを見たけれど、ガイドを雇って移動をほとんど車でしてしまったから、人々と触れ合えなかった。
でも、これは時間がなかったから仕方がない。
アジアももっといろんなところを見たいと思う。

アフリカ・・・少なくともタンザニアの人たちは、自分たちの問題を口にする。
「黒人だから」「貧困だから」
私がアフリカ人を前にして、口にするのをためらってしまうようなことでも、ちゃんと自分たちで口にする。
それでも、自分たちのアフリカという国のことや、アフリカ人であることに対しては、すごく誇りを持っているということが伝わる。Jacobがそうだったように。
これが、私のアフリカ人の印象で、そんな人たちがすごく好きで、すごく惹かれて、私はアフリカに固執する理由をそこに見出した。
同じことは、他の国にも言えるのかもしれない。
同じアフリカでも、それと当てはまらない人や国もあるだろうし。それは、分からないから、これから知りたいこと。
日本国内ではどうなのか?
これは、この夏休み中に知りたいことだ。

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