PlanDoSeeでそこそこだった私が会社をつくった理由
こんにちは。「日本の女性のスキルと可能性を、新たな世界へ」をビジョンに転職支援を行う株式会社Luviの佐野このみです。
今回はLuviができるまでの経緯をまとめてみようと思います。
私の人生の振り返りも兼ねてしまっているので長文になりますがお付き合いくださいε-(´∀`; )
2018年の頃の私は、絶賛自分の進む道迷子。
まさか会社をつくることになるなんて、夢にも思いませんでした。
これまでの人生は何か目指す方向性にある程度確信を持って選択をしていたけど、いい職場・住みたい場所・大好きな仲間に恵まれた日々を送っていた私はぬるま湯に浸かってしまい、その自分の内面に向き合っても答えが出ず悶々としながらいそがしいけど楽しい毎日をただただ過ごしていました。
学生時代の就職活動
私は社会人デビューが遅いです。
25歳が社会人一年目。
お勉強がすごくできたわけでもなく、それなのにアメリカの大学に行きたい!という夢は諦めきれず、高校卒業後は地元の短大に通いながらTOFELの学校プラスアルバイトという、私にとってはなかなかハードな日々を過ごしていました。
当時の夢は世界を飛び回るファッション業界のバイヤーになること。仕事で世界各国に行ける+ファッションという好きな分野でこれが思いついたわけですね。
念願のアメリカでの大学生活。
フランス人、イタリア人、サウジアラビア人、インド人、中国人、台湾人、韓国人、様々な国から集まる留学生。アメリカ人はもちろんのこと違う文化の同年代の人達と意見を交わしたり、パーティーをしたり、すべてが新鮮な体験でした。授業では自分だけが留学生で他全員アメリカ人という環境で、死ぬほど緊張したプレゼンは今でも鮮明に覚えています。
そして気付いたこと。
ワタシハ、ニホンガダイスキ。
コンビニや自動販売機で気軽にこんなに美味しいお茶が買えること。
どこでもトイレが綺麗なこと。
海外暮らしに向いていないこと。
あと、気付いてしまったのです。
本気で私はアパレル業界に没頭できるほどの探究心はないことに。。
やっぱりニューヨークで本気でファッションを仕事にしたいと思っている学生の想いや能力は比べ物にならないくらいすごい。私のような甘い考えではこの業界では生き残れないだろうと早々に判断をしました。
アメリカからの遠隔の就職活動はオンラインで求人を探して履歴書を夜な夜な手書きで作成して、最後の一文字で間違え、、暴れたくなるような。。
アパレルを中心に企業を探す日々でした。
夏休みの間に一時帰国して、留学生向けのキャリアフォーラムで私の運命は変わりました。
運命の出会い
東京ビックサイトの大会場で一番、笑い声と活気があるブース。
それがメーカーズシャツ鎌倉のブースでした。
とにかく大きな声で、爆笑のトークを繰り広げる男性。
こんなに場を盛り上げる人を人生の中で初めて見たのです。
テンションがすごい。
そして、一瞬でこの会社だ!!と想い即その場で一次面接。
この天才的に人を惹きつける人が私の人生の師匠になるですね。
当時カンブリア宮殿の他、色々なメディアに出ていたメーカーズシャツ鎌倉というシャツ屋さんに就職をしました。
東京で新生活!と思いきや、博多駅の新店舗オープンのタイミングと重なり、博多配属へ。
学生の時にした2つの選択が私の人生の軸になりました。
転職の理由
入社半年後、東京への転勤になり、キラキラ憧れの丸の内勤務。
田舎者の私は丸の内という言葉だけでにんまりご機嫌でした。
ただ異動して半年くらいでしょうか。
気付いてしまったのです。
ワタシ、福岡が好きすぎる。
福岡での生活スタイル、福岡というエリアがどれほどその時の自分にとって幸福度が高いのかと気が付きました。
また自分の接客によってお客様が予定していなかったお買い物をしてくださり、とても嬉しそうにしてくれるそんな瞬間がとても好きでした。
接客を超えて営業という仕事をしたい!と思うようになり、
相談に乗ってくれた福岡のお姉さんにご縁を繋いでいただき、巡り巡ってウエディングプランナーになることに。
営業やりたいんですよねって言ってプランナーになった人初めてだと当時のマネージャーからぼそり。
全くの未経験からのウエディングのお仕事でしたが、自分個人がするお客様への働きかけ次第で大きな決断をしてくださる喜びと会社が成果が反映されるプランナーのお仕事に、夢中になりました。
数年働くと、仕事とプライベートも両立できるようになり、楽しい仲間たちと共に自分たちの箱に誇りを持って磨いていく過程はそれはそれは青春でした。
退職の決意
このままぬるま湯に浸かっていてはいかんと思いながらも、進む方向が見つからない。
そんな時、博多駅の回転寿司屋さんで親友Sさんが呟いた一言。
「一旦やめるって決めて、そこで考えればいいじゃん。」
この言葉が私にはすごく刺さったのです。
わからなくなったら一旦リセットすると、時間軸や出会う人が変わり必ず新し風が自分の中に入ってくる。
と信じて、リセットすることを決意。
大好きで毎日一緒にいた先輩や後輩と離れるのはとーーーても寂しかったですが、怠け者の私は究極の状況にならないと行動しないと思い、決意。
この時に悩んでいたことって、今思えばなんてことないんですけど
やっぱりいろんな意味で怖かったし。
お酒が飲めたおかげで勢いで決断。
ここから思いもよらない展開に。。。。
バンコクと福岡の往復生活のスタート
"仕事・場所・関わる人"
この三つを変えることが、自分の人生に変革を起こせるポイントだと思った私は、次に住む場所だ!
という事で先輩に相談。
「バンコクめちゃめちゃすごいから、住んでみたらいいよ!
そこで、いろんな人と出会ってまた考えてみたら良いんじゃない?」
これはきっと、私が辞める決断した事で自分の人生の選択に新たな隙間が生まれたから起きた事。
やはり悩んだりうまくいかない時は断捨離はとても大切だと実感した瞬間でした。
この流れで私は、引き続きフリーランスでブライダルのお仕事をしながら、バンコクと福岡の一ヶ月おき生活スタート。
バンコクではとにかくいろんな国から来た全然違う人生を歩んできた方々と出会う毎日。
起業している方。
駐在員の方。
世界一周中の方。
留学経験はあるものの、卒業後、ずっと会社員だった私にとってそこで出会った方達との話は自分がいかに凝り固まった一部の価値観の中で生きてきたのかを気付かされる時間になった。
日本だけでも職種は約1万7000種類以上、世界中で数えたら一体いくらなのでしょう。
国が変われば、生まれた環境が違えば、性別が違えば、何億通りの組み合わせによって選択肢が決まっていく。
小学生のときに知った金子みすゞの”みんなちがって みんないい” が頭をよぎったけど、その選択肢にすらも気付かないで自分の道を決めてしまっている人は世界にどれくらいいるだろうか。
私もその一人。
そんな私だからこそ何か人のためにでいることはないだろうか。結婚式を通してその方の人生が少しでも豊かになったように、もっと誰かのために私自身が少しでも役に立てることはないだろうか。
そうしてたどり着いたのが
Luviという会社をつくることだった。
Luviをつくって思うこと
私はブライダル時代から計算したところ約2000名の人生のカウンセリングをさせていただいた。
AIではまだ導き出せない、そのひとの心の奥にある本心。
自分では気付いていない気持ち。
第三者のわたしに話すからこそ、気軽に話せることってたくさんあると思うんです。
読んでいただいた通り、すごい学歴でも仕事で偉業を成し遂げた訳でもストイックでもない私(昨年より5kgも太ってしまって反省している毎日です)だからこそ色んな背景の方々が気持ちよく話せるようなそんな存在であり続けたいと思っています。
やっぱり一番嬉しいのは、出会った皆様が仕事を通じて人生がもっと明るく豊かになって、キラキラした笑顔で再会して、"今"の話を聞くとき。
少人数で運営している私たちだから、これからもかわらずとことん話し合うじかんを大切に、丁寧に言葉を紡いで、ご相談してくださる人が仕事を通してたくさんの宝ものと出会えるような、そんなお手伝いをしていきたいと思っています。
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