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だから、神様なんていないから

いやいや、私は本の神様じゃないから。
目の前で笑顔を見せつけてくる白髪の男性に対し、このようなことを思ったとき、私、山下佳奈美は今朝から体調が優れていないことを思い出した。

 都内屈指の大型書店を誇る【シュリン堂書店 池袋本店】には、本日も、書店員を、どんな本でもすぐに見つけてくれる人、と思い込んでいるお客様方が来店していた。
 今朝から悪天候の影響で偏頭痛を発動していた私は、今日は変なお客様に当たらないようにと願っていたのだが、誰も聞いてはいなかったようだ。出勤して早々に出会ってしまった。
「あの、すいませんが本を探してもらってもいいですか」
声のする方へ顔を向けると、見るからにおじいちゃんといえる男性が、人に不快な思いをさせない笑みを浮かべながら立っていた。
「はい、大丈夫ですよ。それでは、お探しの本のタイトルを教えてください」
「すみませんが、タイトルがわからないのです」
「それでしたら、出版社や作者などはおわかりですか」
私はタイトルが分からないと言う男性に対し、情報を引き出そうと、冷静に、笑顔で対処する。意外かもしれないが、本屋にはタイトルを知らずに来店するお客様は多い。そんなときは、出版社や作者などから、目当ての本を見つけていくのがセオリーである。
「確か、岩波文庫だったと思います。作者はわからないですね」
マジか、ただでさえ種類が多くて、探すのが難しいと言われている岩波文庫で、タイトルどころか作者もわからないとなると、今回の本探しは、かなり難航となってしまう。少しでも多く、その本についての情報を得ねば。
「そうですか。岩波文庫だけだと、こちらも探すのが難しいので、何かその本について、あらすじとか、知っていることがあれば・・・」
「うーん、なんとなくな感じで覚えているのですが、“レインボー”みたいなタイトルでした。」
「レインボー・・・ですか」
「はい、そんな感じでした。シュリン堂さんなら、きっと見つけてくれるだろうと思って、ちゃんと調べずにきちゃいましたよ」
頭の中が一瞬、揺れた気がした。このおじさんは笑顔で一体何を言っているんだろうか。私はただの書店員であり、すぐに目当ての本を出せる、本の神様ではない。きっと、人はこんなとき、あの青い猫型ロボットの友達がいればなぁ、と思うのだろう。まさしく今この瞬間、未来の道具が欲しい。
「時間がかかるかもしれませんが、探してみるので、他の本をご覧になりながらお待ちください」
そう告げると、私はすぐに“岩波文庫 レインボー”で検索をはじめた。あまり期待はしていなかったが、案の定、該当しそうな本は出てこなかった。いやほんと、なんでこれだけの情報で見つけてもらえると思ったのだろうか。
 私はひとりでの捜索を早々に切り上げ、他のスタッフにも探してもらうようにした。こんなときに頼りになるのが、フロアリーダーでもあり、文庫担当でもある野原さんである。強面で坊主ということもあり、なかなかお客様に話しかけられることがないが、本探しについては、歴が長いこともあり、すぐに見つけてくれる。私はすぐに探している本について説明した。
「レインボーみたいな本・・・」
私とまったく同じリアクションだった。まあ、当然か。
「野原さんでも、どの本かわからないですよね」
「さすがにそれだけじゃね。新刊コーナーは見てみた?意外とそっちに置いてあるかも」
なるほどと思い、急いで新刊コーナーに確認に向かう。
「レインボー、レインボー・・・」
呟きながら岩波文庫の新刊を確認していると、
「レインボー、レインボー、サラムボー・・・」
あれ、今なんか、それらしいタイトルがあったぞ。慌ててもう一度、その本を見る。タイトルは“サラムボー”
「これだ!!」
思わず声をあげてしまった。周りのお客様に申し訳ないと思いつつ、急いで先ほどのおじいちゃんのところへと向かう。
「お客様、お待たせいたしました。おそらくこれがお探しの本だと思われます」
私が本を渡すと、おじいちゃんは、言葉にするよりも早く、態度で正解であることを知らせてくれた。
「これだよこれ。いや〜、ありがとうね。やっぱシュリン堂に来てよかった。これからも欲しい本があったら来ますよ」
私は、そう言いながら去っていくおじいちゃんをみて、ホッとため息をついた。
本屋に着き制服に着替え、タイムカードを押した後、自分の担当である文芸書が置いてあるフロアに着いた瞬間に、いきなりあのおじいちゃん。まだ他のスタッフにも挨拶していないのに、すでに疲れた。
 本屋で働いていると、いろんな人に出会う。発売日前に来店して、本がないとキレる人。新聞に載っていた本とだけ言って、タイトルを覚えてこない人。おすすめの本をプレゼンしろと言う人。
 本屋に行くだけで、どうしてみんな、自分が求めている本を探してくれると思うの?
何度でも言うけど、私は本の神様じゃないから。

最後まで読んでいただきありがとうございます。これからもたくさんの想いを伝えていきたいと思います。サポートも嬉しいですが、スキやコメントも嬉しいので、ぜひお願いします。