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ロッケンロールばばあになる方法

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カワイイおばあちゃんになるなんて無理! ならば、ロックなばあさんになればいい!日々のいろいろ、てきとうに更新。
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#父

ひげ

父が退院して2週間。敏腕ケアマネジャーFさんのおかげで、あっという間に万全の体制が整った。あとはサポートしてくれる人たち(訪問看護師さん、往診の医師、ヘルパーさん、訪問入浴の業者さん、介護器具の業者さんなどなど)に助けてもらいながら、なんとか父を生かしていく。 最初の1週間はとにかくぐったり疲れた。ハイになった母は、動きっぱなしにしゃべりっぱなしで、寝たきりの父より上手につきあうのが難しかった。そんな母もようやく落ち着き、わたしたちも泊まり込みはなくなり、今がいちばん静かな

在宅介護はじまる

父が退院して1週間。姉の友人であるケアマネさんのスピーディな手配のおかげで、看護師さんの訪問介護、専門医のリハビリ、医師の往診、週2の訪問入浴が決まり、手が回らない部分を助けてくれるヘルパーさんもお願いできることになった。 たった1週間で、たくさんの方々が父のために動いてくれ、母は何枚もの契約書にサインをした。 私たち3姉妹は日替わりで泊まり込み、父の食事の介助からシモの世話までできる限りのことをした。夜中に高熱が出たり、顔だけ異常に火照ったり、毎日なにかしら起こる父の変

メイバランス

あんなに食いしん坊で、なにがあっても食欲だけは落ちなかった父だが、もうほとんど固形物が食べられなくなってしまった。 昨日姉たちと夕食の時間まで病院にいた。同じ病棟の人たちはみんな、部屋ではなくロビーの大きなテーブルに着いて食事をする。けれど父は車椅子も危険なので部屋食。いつもは看護師さんが介助してくれている。 食事の時間になっても、メイバランス(小さな牛乳パックのような見かけの栄養食)しかこないので、あれ?忘れられているのかな?と思ったら、そのメイバランス1本が1食分だっ

ちちのこと

長く入院している父が、もうすぐ家に帰れることになった。 回復して退院、ならよかったのだけれど、そうではなく、もうどこにいても手の尽くしようがなく、このまま病院で死んでしまうより、帰りたかったであろう家に帰してあげるのが、わたしたちにできる最後のことだと思ったからそうすることにした。 父が認知症になって5年が経った。体が元気なうちに脳の症状がゆっくりとではあるが確実に進んでしまい、このままでは家族の誰かが大ケガするか、もしくは本人が致命傷を負うかどちらかだろうという寸でのと