新幹線の駅のホームで

母が突然「実家に帰る」とわたしを連れて出ることがあった。着替えを大量に詰めた袋を提げて、新大阪駅から新幹線に乗るのである。ひかりか、こだまか、いずれにせよ必ず自由席だった。自由席はいつも混んでいた。席に座れないのがわかっていたから、母は最初から座席の方にはいかず、デッキの床に大きな袋を置き、それにわたしを座らせた。岡山まで約一時間、そこから在来線に乗り換えて一時間くらい、最寄り駅から三十分くらい山道を歩く。遠くて、疲れ果てる道のりだったが、我慢した。母について行くしか選択肢はなかった。それにわたしも祖母に会いたかった。
実家行きはわたしが十歳ぐらいまで続いた。祖母の家でさまざまな季節の花や野菜を見た覚えがあるから、割合に頻繁に帰っていたのではないか。父と揉めるたびに帰っていたのだ。だから移動中の母はおそろしく機嫌が悪かった。
ある時、新大阪駅の新幹線のホームでどうしてもトイレに行きたくなったことがあった。母に一緒について行ってほしいと訴えたが、乗車待ちの列に並んでいた母は、わたしにひとりで行くように命じた。
トイレに行くにはホームから下の階へ降りなければならない。わたしは怖かった。下の階に行っている間に新幹線が来て、置き去りにされるのではないかと思った。怖すぎてホームから離れられず、結局ホームでおもらしをし、母にものすごく怒られた。その時の母がいっぱいいっぱいだっただろうことは理解できるとしても、まだ五、六歳のこどもに、新幹線の駅のトイレに「ひとりで行ってきなさい」は無茶だったと思うのだがどうだろう。

わたしが十二歳の年、祖母が脳卒中で倒れたのを機に、母は実家に戻るのをやめた。倒れたあと祖母の意識は戻らなかった。退院後、十八年間自宅で叔母の手厚い介護を受けた末亡くなった。

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