まだよくわからないことをまず書いてみる

原因がわからない痛みが身体のあちこちに出現しつづけることに悩まされてきた。これまで「原因がわからない」と思っていたが、痛みを巡る記憶を書き出しているうちに何となくわかってきたことがある。
原因がわからない痛み、というと、痛みという正体不明の悪しきものが身体という弱者を一方的に(まさに文字通り)痛めつけているという図式になる。そうではないのではないか。原因にいつまでも気付いてやれなかったから、身体が痛みという言葉で訴えていたのではないか。あるいは……逃れられない何かとどう向き合えばいいかわからず、痛みで覆い隠そうと空しい努力をしていたのではないか。

痛みの記憶なのか、記憶から来る痛みなのか、今はまだ何がなんだかわからないが、わからないことをわからないと書くところから始めようと思う。「自分にはまだよくわからないところをまず書いてみる」*というやり方に倣って。

*『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』大江健三郎著 講談社(二〇一三年刊)「三人の女たちによる別の話(三)」より

われわれは探求の言葉、すなわち"気づく""探る""試す""知ろうとする"という言葉を使う。
(中略)
内的経験を人に伝えることができれば、自分の反応になんとか対処するために人に助けを求めたり、自分がしてもらいたいことや必要とするものをきちんと表現したりして、自分自身のケアをすることができるようになる。

『トラウマをヨーガで克服する』デイヴィッド・エマーソン、エリザベス・ホッパー著
紀伊國屋書店 (2011年刊行) 

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