親にされて嫌だったことを自分のこどもに

「自分がされて嫌なことを人にはしない」ということをきちんと自覚して、自分の言動や行動を戒めながら生きていくのは、とても難しいことだと思う。
「こどもの頃に親にされて嫌だったことを自分のこどもにはしない」と、わたしももちろんそう思っていたのだ。思う気持ちに嘘はなかったが、それを実践し続けることはできていなかった。安全な環境を用意したり、安定した家族関係を保ったり、その時その時できることはやろうとしていたように思うけれど、結果として、こどもがいつでも安心して頼れるような人間だったとは、到底言えない。
こどもを安易に叩いていたことを自覚したのは、上の子が小学校五年生の時だった。ある日、何かの拍子にこどもの頭を軽くはたこうと手を出したら、こどもが少林寺拳法で習った手の動きでそれをきれいに受けたのである。その時(あ、これは)という気付きがやって来た。もしたまにしか叩かれないのなら、咄嗟に受けの手が出るわけがない。相当しょっちゅう叩かれているから、こう来ればこう受けるという動きができたのだ。そう思うと、たとえようもなく自分が嫌になった。身体の内側で薄い膜が破れて、それまで自分の中にあると認めていなかった黒い液体が出てきて、自分の内外を汚していくのを、なす術もなく見ているようだった。わたしはこどもに一体何をしていたのだ?自分もしょっちゅうひっぱたかれて、あんなに嫌な思いをしていたというのに……?
当時、わたしも母の主治医に外来で診てもらっていたので、次の診察の日にこの気付きについて話をした。デスクの手許を見ながら話を聞いていた先生は、わたしの方に向き直って
「今気が付いてよかったですね」と言い、
「こどもさんは暴力を学習しますから。いつかあなたに暴力をふるうようになるかもしれませんよ」と言った。わたしは戦慄した。

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