ことばを探すための苦しい読書

アディクション関連の本を読むのは本当は苦しい。本に載っているクライアントたちの体験を目にすると苦しくなる。つらかった体験を思い出すから、というのもあるし、それに重ねて(自分の体験なんて実に大したことがないのに、こんなにいつまでも苦しんでいて)と、申し訳なさと恥ずかしさを感じてしまう。本当はクライアントたちは苦しみながらもよりよく生きようとしている、そう呼ばせてもらって差し支えがないのなら、同志である筈なのに。
読んでは放り出しまた引っ張り出して読むを繰り返しているのは、ひとえにことばを手に入れたいからだ。物心ついてから両親を見送るまでの半世紀のあいだに、自分が体験してきたことは一体何だったのか。それをまず理解したかった。自分自身に向けて説明したかった。そして考えたかった。事態の進行中、誰もそれが何か教えてくれなかった。それについて話し合っているのも聞かなかった。周りの人はそれぞれが言いたいことをわたしにぶつけてくるばかりで、誰もわたしの話を聞いてくれなかった。あの時自分のそばに、辛抱強く耳を傾けてくれる人がひとりでもいたらと今でも思う。でも、いなかったものは仕方がない。それに、もしいたとしてもどう話したらいいかわからなかっただろう。
ことばが必要なのだ。何が起きていたか、書いて、考えたい。思い出すたびに身体の調子を悪くするなまなましい記憶のぶつ切りを、なかったことにはできないけれど再びは襲ってこない単なる「過去の記憶」にしたい。そのためにはどうしても、本を読む必要があるのだ。

その人が真に回復を語ることができるのは、身体が過去に起こったことの再体験を強いられることなく、過去を思い出すことができるときでしかない。
(ベッセル・A・ヴァン・デア・コークの言葉)

デイヴィッド・エマーソン エリザベス・ホッパー著『トラウマをヨーガで克服する』
 伊藤久子訳 紀伊國屋書店(2011年刊)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?