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特攻に異議を唱えた唯一の指揮官・美濃部正少佐の物語『五月の蛍』

猛烈に遅ればせながらプライムタイムというサイトで
拙著『五月の蛍』(内外出版社)が紹介されているのを発見しました。

特攻に異議を唱えたのは「不死身の特攻兵」だけではなかった! もう一人の物語

(私は、自分の事を検索することがないので、、、たまたま特攻について調べていたら、検索でヒットしたために気づきました)

『不死身の特攻兵』(鴻池尚史 講談社現代新書)、私も拝読いたしました。
陸軍の航空兵で、特攻出撃を9回しながらも「死突」せずに戻ってきた
佐々木智次さんを切り口に特攻について描かれたものです。
ベストセラーになりましたね。
戻ってくるという行動によって佐々木智次さんも特攻に異議を唱えたになりますが、やはり、もはや左官であり、人数もふくれあがった部隊の指揮官である美濃部少佐とは、どうしても立場の違いがあると言わざるを得ません。ひとことでいえば、美濃部少佐は二十歳前後の部下達の命を、すべて背負っていたわけですから。

私はいまも、美濃部少佐の強靱な精神力はいったいどこからくるのか、
つくづくそうしたことを考えます。そしてやはり、そこには大いなる愛が見えてくるのです。
美濃部少佐は、まさしく「愛」の人でした。
ゆえに、隊員達の命を背負うといっても、その背負い方が、半端ではないのです。
諦めるということが、絶対になかったのは、そこにあるのではないかと思うのです。

武士道の本質は愛です。
美濃部少佐こそ、武士道に生きた武人です。私は、そういう美濃部少佐を愛してやみません。

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『五月の蛍』の最後のページに掲載した美濃部少佐の写真です。
戦後は航空自衛隊に入隊しました。
戦時中の厳しい表情とはうってかわって少佐の優しさとおちゃらけてるようなところが感じられる写真。

美濃部少佐の導きによって、また「英霊」との語り合いが始まっています。
来年は、また戦争について執筆することになりそうです。

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