いわんや悪人をや
善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。
歎異抄
欲や怒りや愚痴。
肉体は、煩悩そのものです。
生きている限り、私たちは結局のところ迷いを離れることができない。
ゆえに苦しむのです。
お釈迦さまが、苦を解いたことがよくわかる。
それを、阿弥陀仏は憐んで、かわいそうにと思われて本願をおこされた。
ねらいは、悪人成仏のため。
阿弥陀仏に完全に頼りきり、自力や自惚れをはぎとられ、醜い自己を完膚なきまでに照らし抜かれた人こそが、
この世から永遠の幸福に生かされ、死んで極楽へ往くことができるのだ、と教えている。
それで、善人でさえ助かるのだから、まして悪人はなおさら 助かると仰になった、というのですが、
この教えは深淵で、なかなか理解するには難しいところです。
いったい、すべて頼りきるということが、できるでしょうか。
ただ、自分の業の深さをよくわかっていて、それなのにそこから抜け出ることができずに苦しんでいる人には、阿弥陀さまのお慈悲は、ひとすじの光に他ならないでしょう。
いわんや悪人をや。
今日は、あえてこの教えを胸に抱きながら、自己と向き合ってみようと思います。
みなさまからいただくサポートは、主に史料や文献の購入、史跡や人物の取材の際に大切に使わせていただき、素晴らしい日本の歴史と伝統の継承に尽力いたします。