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今日の言の葉

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その日、降りてきた言の葉を綴っています。あなたの良き日々に繋がれば幸いです。
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2022年8月の記事一覧

夏の終わりに

夏の終わりに

今日で葉月も終わりですね。
今月もみなさまと心の通う交流ができたこと、心より御礼申し上げます。

明日からは 9月 長月 お月さまと親しむ季節の到来です。
行きつ戻りつしながらも豊穣の秋は確かな足取りで
それぞれのもとへとやってくることでしょう。

夏はとても苦手な季節なのですが、
夏の終わりほど哀切を感じるものはありません。

陽の翳り
力を出し切った後のような草木の葉
それを慰めるように啼く秋

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草いろいろ おのおの花の手柄かな  (松尾芭蕉)
それぞれの美しさ、それぞれのやさしさ、それぞれの強さと弱さ、すべて異なるものばかり。だから比べる能力も芽生えたのでしょう。違いについて一喜一憂せず、優劣もつけない、透明な心で受け止められたら、私たちはもっと愛情深く生きられる。

この一日を不満顔で過ごすのか、できるだけ笑顔で過ごすのか、私たちは自分で決めることができます。もし今、どん底と思えるほどの状況でも、ひとつくらいはありがたいと感じることがあるはずです。むしろ些細なことに感謝できるようになり、これから笑顔で日々を過ごせる人になれるかもしれません。

走りながら直感で選択し、行動する時代になりました。計画を練っているうちに、流れはどんどん変わります。その場その場の判断を見極めるには、もはや理屈理論では追いつかなくなりました。だから感性、言い換えれば野生性を研ぎ澄ます必要があります。まずは空を眺めてみましょう。

最悪の事態を想定しつつも、最善の未来を信じることが大切です。まだまだ捨てたものではないと思える事もたくさんあるのです、報道されないだけで。情報に埋没することは、神様を信じる心を失うことにつながるかもしれません。世界を動かしているのは、突き詰めて仕舞えば、目には見えない力なのです。

深刻にならず、真剣になりましょう。深刻さは身動きも心の動きも鈍らせて、ともすれば思考停止になることもあります。一見、考えを巡らせているようでいて、その実堂々巡りなのです。真剣になると軽やかに積極的に動けます。なぜなら突破しようとする前向きなエネルギーだからです。今日も良い一日を。

どんなに孤独でも、どれほど傷ついても、愛することから完全に離れることはやめましょう。ひととき心を閉ざしても、それは次の新しい世界を開くためだと決めましょう。真の孤独とは、何ひとつ愛さないことです。道端の小さな花にさえ無関心になる時、あなたの孤独は深まるでしょう。

世の中が騒がしければ騒がしいほど、個々人の心は平安へと向かうよう努めたいものです。勇気というのは、時として、静けさと言い換えても良いくらいです。動きが激しいほど、心を鎮めておかば、瞬時の判断も叶い、的確な行動に繋がるでしょう。騒ぎに乗じるのは自分を見失い人生を見失うのです。

お金の不安が生じたら、宇宙貯金を頼るといいです。宇宙貯金は無限の貯金で、必要な時、必要なだけ手に入るようになっています。そんなのあるわけないと思ったら存在しません。そうなんだ!と信じたら本当になります。実際私はそれで何度も助かっています。ただ、裏表のない心でいるのが条件なんです。

一人で何とかしなければと思うことは、見方を変えれば思い上がりとさえ言えます。なぜなら必ず目には見えない力が働いているだろうから。一人で向き合わねばならない問題も実は何かが必ず寄り添っている。私たちは、どこまでもつながりの中で生きているのです。

人が生まれては死ぬ。この不思議に気づいているでしょうか。どんなに時代が進んでも、完全に解明することはできないのです。だから、なぜ生まれたかを知ろうとするのは無益かもしれません。何か意味があるのだろうな、くらいに受け入れて、あとはただ感謝しましょう。この一日を佳き日にしましょう。

どんなことでも、美しいかどうかを基準にすると間違いありません。不満顔で愚痴ばかり言うのが美しいと思うでしょうか。
静かに微笑んでいる姿を美しいと感じるでしょうか。
答えは歴然としています。
美しいことは、幸せに通じているのです。

報いを求めなくて大丈夫です。
与えることそのものが、すでに報いだからです。
与え続けることができる人は
失うものなど何ひとつないことを知っている人です。
花はただ咲き、鳥はただ囀る。
それが幸福に見えるのは、なぜかを深く慮ってみましょう。

常に一呼吸を忘れずに。
言葉は諸刃の剣なのだから。

(武士の娘の美学十四 『女子の品格』より)