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30-1 梅すだれ 御船 / 木花薫

くりやで一晩を明かしたお滝とお桐は、次の日も朝からご飯を炊いた。昨日に引き続き絶え間なく何度も炊き続け、船乗りたちの食事が終わり自分達も食べ終わったのは真昼を過ぎた頃だった。厨房を片付けるとあとは九州に着くのを待つばかり。

かわやへ出て行ったお桐が「ねえちゃん、ついたよ」とお滝を外へ呼んだ。甲板からみる景色はもう海ではなかった。船の前にも後ろにも陸が見える。前方は肥後の国、後方は島原。有明海を走っていた。

船は宇土を右手に緑川へ入っていく。緑川は肥後の国の中央を流れる十九里続く清流である。大地を切り開き堂々と流れていく姿は雑賀の紀ノ川のようだ。新天地九州とはどんなところかと期待をしながらも不安もあった二人であったから、見慣れた光景に笑みがこぼれた。

そこへマサが来た。

「長崎の前に御船に寄るけんね」

御船とは肥後と日向を結ぶ街道にある町で、四里西には肥後と薩摩を結ぶ薩摩街道もある。二つの街道が交わることで宿場町として栄える一方、有明海へ注ぐ緑川と合流する御船川も流れていることから、長崎や南島原で行われている海外貿易の二次拠点としても機能している。

マサにとって肥後の国に横たわる緑川は阿波の国を流れる吉野川を思い出させる。阿波から吉野川を下って堺や雑賀へ物を運んでいたマサは、緑川を使って物を運ぶ御船に強く惹かれた。

御船に到着すると、市場はあるが堺のような物の売り買いの喧騒はなく、宿屋が五、六軒並んでいる。岸には平田船ひらたぶね馬船馬船などの小型の船が係留している。

その穏やかな港の雰囲気に三人は強く惹かれた。

「ここに住みたいなあ」

マサの言葉にお滝とお桐もここがいいと賛成し、三人は船を降りた。

港の西の端に二階建ての空き家があった。村の人に尋ねると、その家で飯屋をやっていた夫婦がなくなり、子どもは出て行ってしまったそうだ。六年間放置されているから住みたかったら住んでいいと言われた。

一階に座敷と厨房があり、二階が住まいになっている。まるで一階で店をやって二階に住んでいたおヒデさんの飯屋のようだ。お滝とお桐は目を合わせるとにやりと笑った。
「ねえちゃん」
「うん。ここで飯屋をしよう」

三人はまず家を直すことから始めた。六年もの間人が住んでいなかったのだから、家の中は虫の住処になっていた。そこら中に転がっている虫の死骸や、上も下も、角という角にある巣を取り除いて家の中をくまなく掃除した。マサは二階の板間の破れた板を張り直し、一回の座敷の畳も直した。十日ほどで家の中は整い、次は畑。家の裏には伸び放題の草がぎっしりと生えている。それを刈って引っこ抜き、耕して畑を作った。

厨房には竈を三つ作り、ひと月ほどで飯屋を始める準備ができたと思ったがどっこい。米の調達がうまくいかない。

ここ御船では雑賀のような配給などない。田んぼを耕して水を引くことから始めなければならない。お滝は父ちゃんの言った「雑賀ほどいいところはない」の意味を早くも知る羽目になったのだ。

お滝とマサは毎日村の人たちに会いに行って、村の一因として仲間に入れてもらえるように交流を心がけた。若い夫婦が引っ越してきたという噂は少しずつ広まり、一人また一人と、マサたちのところへ「足りんもんはなかと?」「こまっとりゃせんか?」と手を貸しに来てくれるようになった。

そのうちの一人が「うちの隣ですればいい」と、田んぼを作らせてもらえることになった。水を引いてある田んぼの隣だから、水を引くのも簡単だ。三人は必死に耕し、どうにか秋の種蒔きに間に合った。

なんでも用意されていた雑賀とはまったく違う。知り合いもいない知らない土地で、何もかも自分たちでしなければならい。雑賀の共同体としての質の高さが今更ながらに身に染みる。しかしそんな苦労も最初だけ。マサの乗る船もみつかり、三人は安心して冬を迎えることができたのだった。

つづく


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