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惰性という死

 同じがつまらない。
 飽きっぽい私は新しいことをしたくなる。

 今始めたのは、水浴び。

 水のシャワー体にかけるのだけど、腕と足は平気。内腿の時にちょっと顔が歪む。首の後ろには、一息ついて、えいや!っとかけるのだが、その時は「ひー!」と叫ぶようにしている。叫ばないとかけられないから。なぜだか叫ぶとかけられる。

 不思議なもんで、大声を出すと苦痛は消える。

 人はなぜ話し出したのか。
 怒る人ほど大声でがなり立てるから、“いらついて大声を出したのがきっかけで人は話すようになったのかな。”なんて思ったりもするけど、苦痛を和らげるためかもしれない。

 遠い遠い私たちの先祖が痛みを感じた時に思わず声を出した。そしたらあんまり痛くなかった。そこから声を出すようになった。
 そんなストーリーがあるかもしれない。

 そう思わずにはいられないほどに、「ひぃー!!」と叫べば冷たい水が背筋を濡らしても我慢できる。

 頭の上からかける時は声をキンキンに高くして「ひぃーーーーー!!!」と叫べば平気。

 高い声を出すともっと苦痛を感じなくなる。男性より声の高い女性の方が痛みに強いと言うのはそういうことかもしれない。

 とても高い声で話す女性は、もしかしたら苦痛を和らげているのかもしれない。なんの苦痛だろうか。嫌な人と話す時ほど声が高くなるとか。そんなことあるのだろうか。

 試してみようか。会話が不快な時に裏声でしゃべってみようか。両親との会話はいつも裏声なんてことになったりして。へへ。

 氷河期を生き抜いている人類は、「冷たい」には寛容なはず。それどころか、そっちの方が健康維持できるかもしれない。

 前に氷水で顔を洗うというのをしていた。毛穴が引き締まって美肌になるのだ。確かに肌はきれいになった。でも冬にやめてしまった。この水浴びはいつまで続けられるだろうか。

 “もっと高く大声を張り上げられるようになれば冬も越えられるかもしれない。”

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