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深海にもぐるクジラは、自分のタイミングで浮上してくる

腹の底から湧いてきた、やりたい、をやったにする。くだらない小さなことでも、人から理解されないことでも、それが一体何につながるのかとか意味があるのかっていう頭の声はスルーしながら、とにかく、やったにする。そのことに集中しはじめて45日目。

明日は自分が主催のお絵かきワークショップだ。なのに、さきほど娘の保育園から電話があり、娘が微熱があるとのこと。風邪気味なのはわかっていたけれど、そうきたかー!また、「どうなるかわからない」を味わわせてもらっている最中だ。
この、「どうなるかわからない」って、本当にスッキリしない。自分をただただ信じておくしかできないから、観察している自分が必要。今はそうしたいから、ひたすら頭でモヤモヤしながら、腹は信じてしがみついておくことにする。誰だって、どうにかしたくなる。対策をとりたい、解決をするために動きたい、人間。不安と一緒にいることは、耐えられないから。

耐えられない、で思い出した。

今まで、よかれと思ってやっていた、ネガティブなことを話す相手への励まし、「そんなことないよ」の一言。そのときの話し手の心の動き。もっと出かかっていたネガティブなものをひっこめてしまい、「そうだねありがとう」、と言う。それは、聴き手が耐えられなくて、聴き手の満足のためにやっていたことだった。
軽いショックだ。
わたしたちは日頃、びっくりするほど人の話を聴いていないのではないか。

先日開催して頂いた、吉橋久美子さんの「聴き耳頭巾のお稽古場」。カウンセラー橋本久仁彦さんが全国各地で行っている「未二観(ミニ・カウンセリングトレーニング)」にならったお稽古で、あらかじめ聴き手と語り手役をし、録音したものを文字おこしして、当日丁寧に読み解いていく。

15分の会話を丁寧に「辿る」ということをしていくことで見えてくること。

沈黙は語り手のものなので、邪魔せず見守っていたら
自分のタイミングで浮上してくる。

深海にもぐるクジラのイメージが印象に残った。
沈黙なんて、関係性にもよるけど、そわそわして次の話題を探したり話出したりするのが普通だったから。沈黙や間のあとに生れる新しいもの。
あれこれ衝撃の数々だった。

終了後、家に帰っていつもの家族といつもの生活に戻るわけだけど、あれ?おかしい。
目の前の娘が、旦那さんが、いつもより少し愛しい。彼らにもまた、まだ見ぬ魅力が当然のようにあると信じられる。いつもは疲れて、責めあう会話も多々あるのだけれど、その日は珍しく楽しい場所でつながれるような、白熱した会話のやりとりがあった。

なんだろう、これは。新しい扉の開いた予感も含めて、聴くことをめぐる冒険は続く。

(45日目/1000)


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