見出し画像

環境問題を考えた末…偏った見解

他に書きたい記事はあったが、noteでSDGsに関する特集があったので、私も少しそれに触れる記事を書いてみようと思う。

どうやら現在SDGs週間ということで、世界各地でSDGsについて関心を高めたり、アクションを促す取り組みを行うらしい。

「SDGs」という言葉は最近よく耳にするが
先進国が取り組む、2030年までに持続可能でより良い世界を目指す国際目標、17の世界的目標である。

noteでは今もこのテーマの記事を募集中だったので、私も投稿してみたいと思ったが
今回のこの記事の内容はあまりにも個人的見解による偏りがあり、テーマにそぐわない内容であるため、投稿は控えておく。
(でもSDGsのみのタグ付けくらいはいいよね?)

さて、一概にSDGsとはいっても
私はあらゆるその問題一つ一つを真面目に考えられる程の余裕はなく
またその中でも多少なりとも真面目に考えることが多いのは環境問題くらいなのである。

あるいは、もっと若い頃や子供の頃だったら、もっとシンプルに考えることができたかもしれない。

私は、世界平和や環境問題やエコについて、たまに真剣に考えることがある。

しかし、その行き着いた先の結論は・・・
人からすると悲観的や厭世的に思われるかもしれないが
「人類が消滅すれば良い」
である。
真剣に考え、そう思うのだ。


人類以上に他者や生物を痛めつけたり、環境を破壊する生き物はいるだろうか?
他の生き物は己が生きるために、他の生き物を殺すし
動物にもイジメがあったり食肉以外でも殺すということはあるけれど
人間のように、必要以上に殺生したり他者を痛めつけたり、環境破壊する生き物が存在するだろうか?

どう考えても、私は人間が地球にとって一番害悪な生き物だと思うのだ。


なぜ私は生まれたのだろう?
なぜ人間は存在しているのだろう?

とよく考える。


人間は何のために生きているのか?


宗教的観念や精神世界的見解で言えば
「学ぶため」なのだろう。
「魂の学び」だと、人は云う。

しかし、宗教や神様とか精神世界の話を抜きにして、無神論者の人にも納得できる答えはないものか。

世界的に見れば無宗教の方が珍しいのだが、身近に無神論者がいるせいか、どうしてもその答えだけが答えとして納得いかないのである。

また、生きるために殺生し、他の生き物を食べなければ生きていけない体だというのは、学ぶための人生だとしても罪なことである。
もし、人間が本来は菜食主義でも生きていけるのだという思想があったとしても、ベジタリアンにとって今の日本は非常に生きにくいし、植物を食べているという時点で、少なからず殺生はしているのである。

ちなみに私はベジタリアンだった時期もあったし、それでも全然いけたが
社会的にあまりにも生きにくく、また体重を減らしたら困るのにちょっとヒドい体重まで落ちたことや周囲の心配もあり、またパートナーシップを築くことになるとさらに難しいものとなり、必然的にベジタリアンは辞めることになる。

また、あらゆる思想や思い込みを改めるに至り、肉食は決して悪ではないという思想を持つようになった。


話が少々外れたが
人間は何のために生きているのか・・・
それに理由などないのかもしれない。

ただ何故生きているのかというと
今の地球環境に適応しているからだろう。


原始の地球の頃、酸素は存在しなかった。
地球で最初に誕生した生物は嫌気性生物といって、酸素が存在すると死滅する生物だったといわれる。

恐竜が最も栄えたジュラ紀は、今より気温が高く、北極圏の近くでも平均気温が15度くらいだったといわれる。
また、大気中の二酸化炭素濃度は現在の20倍まで達していたらしい。

(参照:恐竜が最も栄えたジュラ紀


また、地球の歴史をみると、氷河期と間氷期を繰り返し
現在は、2万年ぐらい前からだんだん暖かくなっている途中だが
地球の歴史全体からすると特に暖かいというわけではなく、どちらかというと涼しい時期らしい。

(参照:今は地球の歴史の中でどれぐらい暖かい?

現在の地球には酸素がある。
生存するのに適した気温である。
(温暖化や異常気象とはいえ、まだ生きられる範疇である)
そういった人類が適応できる環境だからこそ、我々は生きているのだ。

でもなぜ人間が生まれたのか、どこから生まれたのか、どこからやってきたのか・・・それはわからない。


個人的には、今の文明より遙か昔に、ムーやアトランティスやレムリアと呼ばれる古代文明は本当にあったんじゃないか・・・?と思っている。

・・・・・・
もしかしたら、人間も恐竜と一緒に暮らしてた時代があるんじゃないかしら?とか
龍と呼ばれる伝説上の生き物は、実は恐竜の一種で人間と一緒に共存してたこともあるんじゃないかしら??・・・
などと時にトンデモなロマンチシズムに思い耽ることもある。
しかし、その当時の人類の骨や体の一部などが出てこない限り、そんなことはあり得ないのだろう。


さて、またまた本筋から外れたが

私の考え方を悲観的や否定的にみる人もいれば、あるいは肯定的にみる人もいるかもしれないが

「人類が消滅すれば良い」
という、その考えはやはり、おそらく違うのだ。

実際にそういう思想は表向きに存在し、そういった思想の下での運動をしている人達はいるが
私はたとえそういう思想に至ったとしても、そういった運動には参加したくないし、拒否反応が出る。
本能的に、宇宙や生物としての摂理に背くと思ってしまうのだ。
つまり何か間違っているのだろう。
どうして間違っているのか?
それを明確に言葉にして説明することは残念ながらできない。
少なくとも今の私には。


さて、大変偏りのある内容になってしまったが、あくまでも個人的な思いであり、呟きのようなものである。
しかし、もう少しマトモな見解で環境問題に関する記事を書いてみたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?