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みのべの原点 〜第一章〜
看護師、ケアビューティスト
Beauty Japan近江大会2024ファイナリストとして活動しているみのべこのみです😊
自分の原点についてを思うがままに書いていこうと思います。
1.《末っ子このみ誕生!》
滋賀の彦根で三兄弟の末っ子として誕生!!
姉と兄とは歳が離れており、割と怒られることなく過ごしてきた。
いや、1番上の姉がよく怒られていたのを見ていたから、
怒られないようにうまいこと避けていたんだと思う。
これが末っ子の特権というか、要領の良さ。
でもそのおかげで怒られ慣れていない。
怒られないように、怒られないように・・・と思うようになる。
そうなってくると、失敗したら怒られる・・・
と失敗することを恐れるようになり、挑戦することから逃げた。
怒られたくない、嫌われたくないと思うようになり、
みんなに合わせて生きてきた。
その先には自分で選択することが苦手になり、無難な道を進んできた。
あまり「あれやりたい!!」ということがなかった。
誰かが「あれやる」と言ったら、「私もそうしよう」と思ったし、
「あれがいいんちゃう?」と言われたら、「そっか、そやな」と流されるがまま、
私という芯は特になかった。ただ、人に合わせることはうまかったと思う。
人見知りの性格と人に自分を見せると嫌われるのでないかと思い、
仲が良くてもどこか距離を作ってしまっていた。
人に見えない壁を無意識に作るようになった。
壁を作ると自分のことを相手が信用しているのか不安になり、
自分も人を心から信用できなくなる。
それ本当に思ってるの?
そんなわけないよな、と心の中で否定的な人となっていった。
2.《このみ、野球部マネージャーになる!》
高校時代、野球部のマネージャーをした。
「したら?」と言われたわけではない。
高校に入って部活を選ぶ時に何がいいかわからなかった。
椎間板ヘルニアだった私は自分が運動するという選択肢はなく・・・
でも帰宅部っていう考えもなかった。
兄が野球をしていた時に両親とよく応援にいっていたため、
私も手伝えるかなと思って軽い気持ちで入った。
暑い日も寒い日も朝早くから夜までみんなの練習のお手伝い。
辛くないと言えば嘘になるが、でも苦痛ではなかった。
しなければならないことをただこなし、練習がスムーズにいくようにしていた。
本当にみんなの役に立てていたのかな?と思うと心配ばかり。
小さいころからの性格がただただ積み重なり、無意識の壁を作っていた。
部員たちとの距離も縮まらなかったし、当たり障りなく過ごしていた。
この時の部員の1人が旦那である。
現役時代は連絡事項以外ほぼ喋らなかったし、同じクラスにもなったことのない部員。
引退してから仲良くなったので不思議なものである。
旦那とは高校時代の話はほとんどしないが、
義母は
「高校時代は人のために辛い環境の中でよくやってくれてたね。
マネージャーが陰で支えてくれてたからみんなが困ることなく野球できてたんやで。」
と言ってくれる。
自分が当たり障りなくこなしていたこともなんだか意味があったんだなと思える。
同時に自分がもっと野球について勉強して、
部員一人一人の個性と向き合えば
もっと良いサポートができたんじゃないかと後悔が残る。
3.《高3このみの進路》
私にとって、高校で進路を決めるのはとても苦労した。
自分のしたいことってなんなんだろう…
それがパッと思い浮かばない。
結局、出した答えは家族と同じ道。
なんとなく人の役に立ちたいなと思った。
家族が医療関係の仕事、学校に進んでいたため、
自然と、なんとなく…『看護師』という道に進んだ。
大学進学にあたりもちろん小論文などもあったが、
当たり障りのないことを書いたし、
志望動機も当たり障りのない一般的な答え。
本当に自分というものがなかった。
しかし、今は『看護師』という道を選んだ自分を褒めたい!
第一章 完
自分の性格は生まれ持ってのものもあるけれど、
環境因子がとても大きいと思っています。
一つ一つの出来事が今の自分を作っているのだと振り返りながら感じています。
次回、みのべの原点〜第二章〜
看護学校、看護師の私について振り返っていきたいと思います。
なぜ看護師になった自分を褒めたいのか・・・
ご興味ある方はお付き合いいただけたらと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました😊❤️
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