やろう、と思わなくてもやってしまうことで暮らしをつくる
やろう、と思わなくてもやってしまうことで暮らしをつくる。
ついさっきも、無意識のうちに側にあった焼き菓子をつまんでいた。
というのは、ちょっとした冗談で、でも大事なことであり、やっぱり冗談八割だ。
僕が記録しておきたいのは、このnoteもひとりでに書いていたり、最近更新し出したYouTubeも気付いたら録っていたり、といったこと。
また、コーヒーを淹れるとか、カフェの雰囲気を考えるとか、新メニューのレシピを考案するとかも、その類だ。
ついやってしまうこと。
気付いたときにはやっていること。
将来の役に立つからやろうとか、世間的にやったほうがいいからやろうとか。
もちろん、それも大事なのだが、それ以上に大切だと思っている。
いや、バランスを取ろうと思って、思ってもないことを書いてしまった。
将来の役に立つからとか、世間的にどうだとかは、全く大事だと思わない。
少しも。
なぜなら、何が役に立つかなんて、後になってみないとわからないからだ。
1時間先のこともわからないのに、10年後のことなんて本当にわからない。
予測不能である。
たとえば、僕は大学時代に料理にハマった。
それは一人暮らしを始めたので必要に迫られてというのと、"料理男子" というのがちょっと流行っていたからでもある。
趣味は料理です。
なんとなくかっこいい、なんとなく良い人そう、そんなイメージがある。
これは都合がいい。
美味い飯を作れて、周りからの印象もいいということで、僕は料理にのめり込んだ。
その10年後、僕は飲食店の店主をしている。
あのとき、「10年後、きっと料理の知識が役に立つから!」という理由で料理をしていたかというと、全くそんなことはない。
むしろ、就活のためにTOEICで良い点を取るとか、ITが来てるぞということでプログラミングを学ぶとか。
そういったことの方が、"将来役に立つ" ことであったはずだ。
僕は、大学時代にTOEICを受けた。
しかし、今現在、何の役にも立っていない。
これはTOEICがわるいとかそういうことを言いたいわけじゃなく、何が役に立つかは本当にわからないということを言いたいに過ぎない。
役に立つかどうかで選ぶのは、不毛だ。
きつい思いをして、楽しみを我慢して、血を滲ませながら取り組んだことが、将来役に立つ可能性は真には読めないからだ。
逆に全く意識せず、楽しんで取り組んだことがめちゃくちゃ役に立つことがある。
可能性が読めない以上、楽しんでできることに取り組んだほうがいい。
今も楽しくて、将来にも役立つ可能性がある。
最高じゃないか。
そして、その最たるものが、やろうと思うまでもなく気付いたらやっていること、だと思う。
自分が快に感じているからこそ自然と足が向くし、よっこらしょと腰を上げることもないから始動するときのエネルギーも最小限だ。
そして、努力量も無限になる。
1日に1時間は英語の勉強をしよう、と決めて続ける努力量を遥かに凌駕する。
なぜなら、気付いたらやっているということは、1時間では済まないはずだからだ。
もちろん1時間というのは物の例えで、2時間でも5時間でも同じことだ。
僕は気付いたらカフェを巡っているし、気付いたらコーヒーを淹れているし、気付いたら料理をしているから、カフェ店主は天職だと思う。
仕事という文脈に限らず、これは言える。
気付いたらやっていることは、自分にとって快楽であり、そして楽なことである。
楽、というと「楽してる」などという言葉があるのでネガティブなイメージがあるが、要は燃費がいいということである。
車の燃費がよくて、車を責める人はいない。
より少ないガソリンで、より長距離を走る車。
より少ない労力で、より多く快楽を生み出す人。
何が違うのか。
つまり言いたいことは、より楽に、より楽しく生きることは素晴らしいことだということだ。
でも、周りから見ると楽をしているようには見えない、というのがミソだ。
僕は1年間365日ずっとカフェのことを考えて、朝も9時から夜の10時まで仕事をしていて、休日も仕事をしているが、苦しいとは思わない。
物理的には相当な労働環境だが、教員時代よりもよっぽど楽だ。
それは、やろうと思わなくてもやってしまうことで暮らしを作っているからである。
暮らしの合間がシームレスに繋がる。
気付いたらやっていることで24時間を満たしていくと、1日があっという間である。
そして、充実している。
営業時間が終わると、自然と仕込みに手が動くし、家に帰るとnoteを書いていて、気付いたらYouTubeを録っていて、気付いたら寝ている。
そんな毎日だ。
でも、これらのことに出会えたのは、本当に運が良かったなと思う。
たぶん、難しいことなんだと思う。
いろいろなタイミングの重なりや人との出会いで、"気付いたらやってしまうこと" に出会えて、続けられた。
それはそれは、天文学的な確率だと思う。
一つ言えるのは、自分の直感に素直になるということ。
自分の心が何と言っているか。
世間一般の常識や、他人が言っていることからは一旦耳を塞いで、自分の心に耳を澄ませる。
「TOEICが就活に役立つ」
「これからはITの時代だから、プログラミングを勉強すべきだ」
「公務員になるのが世間体がいい」
そういった周りの言葉を遮断して、心が赴くままに何かに取り組んでみる。
これは本当に難しい。
僕らの心は、義務教育9年間、高校3年間を経て、直感を失ってしまっていることが多い。
直感に従っていると思ったら、誰かの声だったということが往々にして起こる。
これはもう強く意識して取り組むしかない。
「おい、心、お前はどう思うんだ?」
と日常から問う癖をつける。
休みの日も、本当は何をしたいんだと心に繰り返し繰り返し聞いてみる。
そうすると、心は返事をしてくれるはずだ。
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