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流されるか、流れるか(093)

こんにちは、紺野うみです。

あのね。これは多くの人に、頭の片隅に置いていただきたいことだったりするのですが……。

「お金」という「形のあるリアルなもの」と引き換えに行う「仕事」は、実はなかなか恐ろしいものだったりもするんですよね。

――というのも、それらがどんなに自分を壊してゆくものであっても、「お金をもらっているんだから仕方ない」「我慢してお金をもらうしかないんだ」という、出口のない場所に自分の精神を追い込んでいきやすいからです。

自分で自分を納得させて、「魂の望んでいない方向へ、流されてしまう」ということが、起きやすくなってしまう。

いいですか、「流されること」と「流れに身を任せること」というのは、似ているようで全然違うから。

たどり着く場所を意識した選択をしてほしいなと、私はいつも思うのです。


流される生き方は、楽だけど苦しい

「楽だけど、苦しい」なんて、ものすごく矛盾していますよね。

でも、これは本当にそう。

「流されるまま生きる」と、自分の思考は停止した状態でいられるんです。

自分で考えて、悩んで、選んで、違っていたら反省して、また選びなおして……という、このプロセスが一切必要なくなるので。

ある意味では「楽」になれるんですよね。

自分で選ばなくていいんですから。

でも、この状態で突き進んだときに、苦しむのは「心」。

それも、うわべの部分じゃなくて、心の奥底にある「あなたの本心」が苦しがるんですよ。

「本当にこれでいいのか?」「こんなのは違うんじゃないか?」

きっと、何度も何度も声なき声で、そうやって訴えてくるはずなんです。

でも、思考停止状態のあなたには、その正体が見えてこないから、「なんだかわからないけどモヤモヤする」「生きていて息苦しいような気がする」という、漠然とした苦しみばかりが居座り続けることになってしまう。

先の見えない、終わりのない息苦しさに、まるで半分溺れているような感覚に似ていると思います。

私もこの状態だった時期がありましたから、よく解るんです。

その頃は、今の自分を認めることなんて到底できないけれど、このまま頑張り続けても未来に対する希望を思い描くことができませんでした。

それなのに、流されるのをやめることも、怖くてできなかった。

今思えば、「このままこの時間を、継続していくしかない。もしかしたら、運よくいい場所に辿りつけることもあるのかも……?」という、微かすぎる期待だけを頼りに、漂流していたような気がします。


自分らしさを選び、流れに身を任せる

私も仕事の世界で、精神的には「果てしない漂流」みたいな時代がありましたが、それが「運のいいことに」一旦途切れることになったわけです。

つまり、そこで一度強制的に「流れを止めてもらえた」ということなのかもしれません。

多分、目に見えない世界からの働きかけで、そういうチャンスをいただけたのかなと、今は思うのですが。

そうこうして、私は自分以外の人に自分の人生を決められるような生き方や、状況に流され続けることをやめました。

まずは、「自分らしさ」や「自分の本音」に立ち返って、それを正面から見つめて受け止めることをしたんです。

何度悩んでもいいから、そこを基準に生き方を選んでいくことにして。

そうするとね、自分の心がホッとしたような、肩の力が抜けたような感じがしたんですよ……不思議なことに。

「助かったわぁー。やっと、気持ちの悪い流され方するのやめてくれたん?」という感じ。笑

ずっと「そっち行きたくない!」「違うのにー、嫌やー!」って、叫んでたらしいんですよ。

で、選んだ道を歩き始めた頃あたりから、不思議なものを感じるようになりました。

それがズバリ、人生における自然な「流れ」なんです。

これまでの「流される」というのとは明らかに違う、自らの意志で心の力を抜いて、自分や目に見えないものを信じて「流れに身を任せる」という行為。

これができるようになったら、生きる中で自分に嘘をつかなくてもよくなるでしょう。


本当の心が、選んだ道を歩む

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