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「2兆円ください」を地でいく伝記と、翻訳書を作る過程の話。

『ザ・ギャンブラー|ハリウッドとラスベガスを作った伝説の大富豪』
という翻訳書をつくりました。

「2兆円ください」っていう冗談がありますよね。

「給付金10万円ですか? 2兆円ください。」

みたいな。

まあ、冗談です。もちろん。

しかし、

「2兆円ください。」

「いやです」

と言える人物がいました。カーク・カーコリアンという人です。

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カーク・カーコリアン

(Kirk Kerkorian 1917年6月6日 - 2015年6月15日)
アメリカ合衆国の実業家。
ラスベガス市(ネバダ州)の形成に関わった重要人物の1人。
「メガリゾートの父」として知られる。

生涯総資産が200億ドルと言われている人。日本円にするとほぼ2兆円。200億ドルって、1ドル札を積み上げると218キロメートルを越える高さになって、成層圏、中間圏を突き抜けて熱圏に突入します。宇宙レベルの大富豪です。

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この本は、その人、MGMグランドホテル&カジノという世界最大級のカジノホテルの創業者であるカーク・カーコリアンの伝記です。

カーコリアンは、最終学歴「中学中退」。無一文のアルメニア移民としてアメリカに移住し、一介のパイロットからキャリアをはじめ、航空機ビジネスを立ち上げ、当時世界最大のホテルをラスベガスに建て、コロンビア・ピクチャーズやユナイテッド・アーティスツなど映画会社の株を買い集めるなどしてラスベガス・ハリウッド文化の礎を築き巨万の富を手にして、祖国アルメニアを世界最大級の大地震が襲った際には同国に10億ドル以上の寄付金を一切名前を告げることなく送付しつづけたような人です。

スケールがでかすぎて意味がよくわからないレベル。アメリカン・ドリームそのもの。資本主義の醍醐味を味わい尽くして2015年に生涯を閉じた大富豪です。その、ビジネスもプライベートもひっくるめたギャンブラーとしての人生の転機を、人生の「全取引」を記録したノンフィクション一代記です。

この本の裏表紙には、こういうコピーを入れています。

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2つだけ紹介させてください。

あの「耳噛み切り試合」をプロデュース

マイク・タイソンという、言わずと知れた最強&最凶のボクサーがいます。元WBA・WBC・IBF世界ヘビー級統一王者。逮捕されたり収監されたり大麻農園を経営したりイスラム教に改宗したりと話題に事欠かず、現役は引退した今も「過去の人」ではありません。話題が、じゃなくて、ボクシングが。

これは去年の動画。00:39秒からの動きをみてください。53歳の概念が一瞬で覆ります。

一発でも浴びたら死ねる自信がある。

この人のヤバい人生は、弊社から出ている自伝でも知ることができるのですが、数あるヤバいエピソードの中でもっとも有名な1つに「耳噛み事件」があります。

試合中に、対戦相手の耳を噛みちぎったんですね。

これです。

34:40あたりからのスローリプレイをご覧ください。完全に噛みついてます。野獣だろ。ボブ・サップが可愛く見えるわ。

この時タイソンは、相手のイベンダー・ホリフィールドが再三再四、偶然を装った「頭突き」をしてくることに腹を立てていて、我を失っていたようなんですね。事実、タイソンはこの時のことを振り返り、「殺してやる」と思っていた、と言っています。シャレになってない。

この明白な反則行為でタイソンの失格が告げられた後、1万8,187人の観衆から大ブーイングが起こり、一部は暴徒と化し、40人が切り傷や打撲を負い、足首を骨折する人も出る超カオス状態になったようです。ホリフィールドは、試合後に噛みちぎられた耳たぶを縫いつけようとしたけど、くっつかなかったそうです。

このボクシング史上に残る1997年6月28日伝説の試合会場は「MGMグランド・ガーデン・アリーナ」。タイソンに直談判し、野獣ではなくボクシングの歴史に敬意と愛を持つタイソンに惚れ込み、この試合を実現したMGMグランドホテルのオーナーが、カーク・カーコリアンその人でした。

エルヴィス・プレスリーの復活を演出

エルヴィス・アーロン・プレスリーという、これまた言わずと知れた伝説のアーティストがいます。全世界の総レコード・カセット・CD等の総売上が6億枚とも、テレビ出演時の瞬間最高視聴率は72%とも言われる稀代のロックスター。後のボブ・ディラン、エルトン・ジョン、ボブ・シーガー、フレディ・マーキュリーなども、彼の影響を受けています。

彼は、デビュー10年ほどたった1963年頃、低迷期を迎えています。それはちょうど、ビートルズがデビューした時期と重なっていました。そして、1969年から、年間125回、実に3日に1回のペースでライブを行う超過密スケジュールで再起をかけます。

その頃、当時世界最大のホテル、インターナショナル・ホテルをラスベガスにオープンしたのがカーク・カーコリアンでした。カーコリアンは、このホテルでエルヴィス・プレスリーの公演を企画し、年2回の公演を5年間で約6億円という条件でプレスリーサイドと契約し、プレスリーを全米のスターとして復活させた立役者の一人です。以後、ラスベガスが、世界におけるプレスリーのライブの中心地として定着しました。

その頃のインターナショナル・ホテルのライブ映像がこれです。

youtubeすげーな。

それではお聴きください。エルヴィス・プレスリーさんで、『この胸のときめきを(Don't Have to Say You Love Me)』。

別件バウアーですが、プレスリーに関しては、是非こっちも観ていただきたい。あの名曲『Love Me Tender』なんですが、観客席最前列の複数の女性と歌いながらキスしまくるという暴挙に出ます。2020年8月現在、いろんな意味でありえない貴重な映像です。

ベッケンバウアーと言えばテニス、テニスと言えばカーク・カーコリアンです。彼は晩年までテニスで鍛え、元プロテニスプレイヤーのアンドレ・アガシの名付けに一役買っていたり、同じく元女子プロテニスプレイヤーのリサ・ボンダーに結婚を迫られ続け、別の男と作った子どもを認知させられ、養育費や住宅、生活費など骨の髄までしゃぶり尽くされかけた一件があるのですが、その詳細も本書に収められています。

細かく書いているとキリがないのですが、そのほか、不動産実業家時代のドナルド・トランプや同時代のもう一人の大富豪ハワード・ヒューズとの確執、クライスラーやゼネラル・モーターズに買収を仕掛け自動車業界を揺さぶり続けた経緯などが詳細に描かれた本で、よくある「大富豪の成功法則」というよりも「一人の半生を通した20世紀のアメリカエンタメ文化の歴史書」の趣が勝る、1本の映画のような本です。

なので、ビジネス書っぽいデザインはやめて、映画のフライヤーのようなイメージでカバーをデザインしていただきました。

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著者は、元ロサンゼルス・タイムズ紙の記者で、作家・ジャーナリストのウィリアム・C・レンペルさん。

本書を書き上げるにあたって、カーク・カーコリアンの生前のインタビュー音声、ドキュメンタリー、裁判の記録などを丹念に調べまくり、関係者に取材を申し込みまくり、その多くは断られながらも、粘り強くまとめられたのがこの本です。9.11以前にアル=カーイダの活動に警鐘を鳴らしたジャーナリストの調査報道魂が、日本ではあまり知られていないカーク・カーコリアンの半生を詳らかにしています。

翻訳者の上杉隼人さんが、著者にインタビューしてくれたので、英語のリスニングがキャンな人はぜひご覧ください。シブい。レンペルさん。

なお、上杉さんと私は、このレンペルさんと交渉し、原著にはない日本版限定の「カーク・カーコリアン『7つの成功の秘訣』」を執筆いただき、本書に収録しています。レンペルさん、いい人です。

翻訳書はどのように作られるか?

さて、わたしは普段あまり翻訳書を作らない編集者なので、自分の備忘録として、「翻訳書とはどのように作られるのか?」を簡単に書き記しておきます。

まず、翻訳書には「原著」があります。元になる本があるから、それを翻訳できるわけです。当たり前ですね。でも、これこそが翻訳書のスタート地点です。「本が完成しているところから始まる」のが翻訳書です。こういう意味があるのかないのかわからないような「  」の使い方をやってみたかったんです。

今回の本の原著は、これです。

本国との権利者とのやりとりは、原則として、互いの国のエージェントを通して行われます。

日本の出版社⇄日本のエージェント⇄本国のエージェント⇄権利者(著者)

という連絡系統です。それ相応の信頼関係を築かないかぎり、著者と直接連絡を取ることは難しいのです。

今回の『ザ・ギャンブラー』をご担当いただいたエージェントは、「イングリッシュ・エージェンシー」。英語の本を翻訳するに当たって、これ以上なく覚えやすい社名です。

基本的に、このエージェント経由で各出版社に売れ筋やオススメの原著リストが内容サマリーや紹介文とともに流され、各出版社が手を挙げて、競合した場合はオークション形式で競り落とされ、日本における版元(発売する出版社)が決まります。

そして、翻訳書には「アドバンス」と呼ばれる前払い印税があり、日本で出版する権利を取得する際に日本の出版社が支払うことになります。本国で売れ筋の本ほど、話題性の高い本ほどアドバンスは高額に設定され、制作原価に上乗せされます。ベストセラーになった『スティーブ・ジョブズ』などの話題作には、とんでもないアドバンスが設定されます。これは、翻訳書の販売価格が国内の本よりも若干高くなる一因にもなっています。

そして、翻訳書に欠かせないのが、翻訳者です。翻訳者とは、ほぼ著者です。というか、翻訳書における翻訳者とは、著者以上に著者なのではないかと感じることがあります。

原著は、当然、その国の読者に向けて書かれているので、流行りの言葉も、ある表現を理解するための前提知識も背景にある歴史や文化も、日本とは異なります。

つまり、翻訳者は、

① 違う国と文化の人に向けて書かれた違う言語の文章を正確に理解し、

その上で、

② 「日本人が日本語で読む文脈」にあわせて訳す、

という離れ業をこなす必要があります。これは、両国の文化と言語に大差なく造詣の深い人でなければ無理です。両国の文化と言語とは、タニマチとか土俵際とかハッケヨイとかのことではありません。翻訳書における我々編集者の制作過程は、この翻訳者とのやりとりが中心になります。

今回、翻訳をお願いしたのは上杉隼人さんという方です。

訳書に『スター・ウォーズ』(全作[エピソードI~IX])『アベンジャーズ エンドゲーム』『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』『STAR WARS クリーチャーズ&エイリアンズ大全』などがあり、アメリカエンタメ文化への理解が異常に深く、これまで計70冊ほどの翻訳を手がける方です。

この本の目次と、主な登場人物一覧は、このようになっています。

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ここから、主な登場人物一覧。


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この本を作り終えて、ふと思ったことがあります。

この本は、カーク・カーコリアンの死後に発刊されることになりました。カーコリアンは、2015年6月15日に亡くなっています。

たとえば、内海桂子さんや志村けんさんが亡くなると、みんなが悲しんだり慈しんだりして、過去の功績を称える記事やテレビ番組が作られ、きっとこれから本も出ますよね。

その、いわゆる「伝記」と呼ばれるジャンルの本を、いちばん楽しんで読めるのは誰なのか。わたしは、今は亡き本人なのではないかと思うことがあります。『ザ・ギャンブラー』の一番の読者は、もしかしてカーコリアンなんじゃないかと。

前のめりで生きていきた自分の人生を、ゆっくり振り返る時間などなかったんじゃないかと思うんです。わたしは、この本を、死の間際の走馬灯のダイジェストじゃなくて、好きだったコーヒーでも飲みながら読めるアルバムとして、天国のカーコリアンに捧げたいと思います。

そして、わたしが死んだあとには、伝記などなくてもいいから、誰かの記憶のなかに永くとどまっていられたらいいなと、そんなことを思いました。


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