ハゲの哲学
スキンヘッドにしてから「潔いですね」などと言われる。
「Myハゲ哲学からすると少し違うんです」と言いたくなる。
私は積極的にSHにしたわけでなく、徐々にハゲていく緩やかな衰退の切なさを引き受け切れないと悟ったからその過程をショートカットしたのだ。積極的決断ではなく「覚悟」に近い。覚悟には大いに「諦め」と「逃げ」の要素がある。
見た目が潔いのは認める。むしろ潔すぎだろお前と言いたくなる気持ちはある。だが、ぼくからすればゴルバチョフやブラマヨ小杉や呉智英のようにハゲながら生きている人の方がはるかに潔いと思う。焼いて根絶やしにするのではなく3日ごとに芝刈りしているのは、「なかったこと」にするかのように生きるよりも、生えようとする芝を刈ることで自分の逃げと諦めの決断を忘れないようにするためでもある。
スキンヘッドのブラマヨ小杉氏はたぶんこわい。
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