見出し画像

小6からプロミュージシャンを目指し夢破れたアラ50男の失敗例その3。

高校生になる頃には学校外でもバンド活動をするようになり、オリジナル曲の作成や、吉祥寺や国分寺などのライブハウスにも出演するようになっていきます。

何しろ私の中高時代は空前のバンドブーム。ライブハウスの数も多かったし音楽雑誌もたくさん出版されていました。そういえば当時在籍していたバンドがロッキンFという雑誌に写真入りで掲載されたこともあります。深夜にメンバーが住んでいた荻窪のマンションの前で衣装着て撮影したのを覚えています。あれしばらくとっておいて学校で自慢してたなぁ。

そうこうするうちに年上のお兄さん達のいわゆるインディーズのバンドに加入することになり、目黒の鹿鳴館などに出演しました。この頃の鹿鳴館は正にハードロックバンドの登竜門的存在。X-japanが出演していた事でも有名です。レディースルームやジャクスンジョーカー、ジュディマリ、プレゼンス、ガーゴイルなどなどありとあらゆるバンドがしのぎを削っていました。

当時僕は17、18歳くらい。バンドブームはやや終焉に向かいつつある。イカ天も全盛期は過ぎている。そんな時期でした。でもまだ高校生たちは放課後にライブハウスに通ったり日曜には原宿のホコ天に行ったりしてはいました。

しかし、数年後そんな高校時代を終えて卒業し更に本腰入れて本格的にバンド活動しようと思っていた時には既にバンドブームは終わっていたのです。

世の中は、DJやHipHopグループが登場しアイドル人気も復活してきました。Ziggyやパーソンズ、レッドウォーリアーズなども徐々に活動を縮小して行ってしまいました。

今回のエピソードは失敗という訳ではありませんが、何事もタイミングが大事という事が教訓だと思います。もちろん自分ではどうしようもない事ではあるのですが…。ただ先見の明があれば…とは思います。例えばエルヴィス・プレスリーは言うまでもなく大スターですが、もし生まれるのが後5年前後していたらあれ程の業績は残せなかったかもしれません。

でも考えてみると私と同世代のミュージシャンって極端に少ないんですよね。いても2世ばかりで。大体私より7〜8歳上の世代は物凄く多いんですけど。やはり時代とのマッチングは大事です。


私の創作活動の対価としてサポート頂けましたら、今後の活動資金とさせていただきます。皆様よろしくお願い申し上げます。