小6からプロミュージシャンを目指し夢破れたアラ50男の失敗例。
私は小学6年生の時に突然プロのミュージシャンになろうと決めました。自分の人生は音楽を奏でる為にあるのだと。本当に何の迷いも無く突然浮かんで来たそのアイデアに、不思議なくらい全く違和感を持ちませんでした。後にそのあまりにも軽すぎる決断が己の人生を台無しにしてしまうとも知らずに。
きっかけは1985年頃。
3つ違いの兄がサンスイの大きなステレオセットを手に入れ、クイーンやカルチャークラブ、エイジアなどのレコードを聴き、更にはグレコのフライングVをも買って練習し始めたから、それに感化されたというのもあるかも知れません。(もっとも兄は数ヶ月で飽きてしまいましたが)
ですが私としてはそのフライングVよりも当時流行していたカルチャークラブやチェッカーズに強い憧れを持つ様になった事の方がより大きなきっかけと言えます。なんせ小学生の目にはボーイ・ジョージは外国の綺麗なお姉さんに見えましたから。
とは言え当時の私は東京都北区赤羽の団地に暮らす普通の小学生で、楽器なんて音楽の授業で使うリコーダーしか持っていませんでした。
因みにチェッカーズの藤井尚之氏に憧れ、赤羽のヤマハのショーウィンドウに飾ってあったアルトサックスを親に一応ねだってみましたが案の定買って貰えませんでした。
けれども自分は将来音楽家になるのだから今出来る事から始めようと思いまして、チェッカーズの他にもクイーンやカルチャークラブ、マイケル・ジャクソン、デュランデュラン等の曲は一体どんな編成で演奏されているのだろうと、それぞれの楽器を意識して聴いていました。
後年それが役に立ったとは全く思えませんが、まぁとにかく。
翌年我が家は北区から練馬区に引越し、私は練馬区立の中学に入学しました。そしてこれまた迷う事なく軽音楽部に入部。区立中学なのに軽音楽部があるのは当時かなり珍しかったと思います。
入部から数ヶ月後、池袋のマルイで3万円位のヤマハのストラトキャスターを手に入れました。色は赤茶っぽいサンバースト。これでプロのギタリストになれる!私はそう思いました。
はい、このエピソードの中に一つ目の大きな失敗があります。
それは自分の担当楽器として安易にギターを選んでしまった事です。音楽やるならギターを買わなきゃ!と当時は何の疑問も抱かずに思っていた訳です。
音楽=ギターという感じです。
どんな業種でもそうですが、同業者が多いという事は需要もまた大きい筈です。しかし既に飽和状態に達している市場では、新規参入が難しいという事でもあります。注文が発生してもそれを受注出来る業者は山ほどある。新たな業者の入る余地は無いと…ギタリストも然りです。
なのでもし当時に戻れるなら私はウッドベースやテナーサックス…或いはチェロ等を選ぶと思います。それなら有望なバンド達から加入を打診されたかもしれません。
要するに野球やサッカー等のメジャースポーツは競技人口が多いので、その中から突出した存在になるのはかなり大変。ライバルの少ない競技(楽器)を選ぶべし。というのが私からの初回の教訓です。
こんな感じで時代を追って私の失敗エピソードと、選ばれなかったもう一つの選択肢をご紹介していこうと思いますので皆様よろしくお願い申し上げます。
僕、こんな音楽を作っている人です。
私の創作活動の対価としてサポート頂けましたら、今後の活動資金とさせていただきます。皆様よろしくお願い申し上げます。