見出し画像

怒りとダンス

これは長年誰かに対して「怒る( ≒ 悲しい)」という感情を向けることができなかった私が獲得した、気づきと体験ついてのメモ。


プロローグ(事の発端)

それは私の友達、Kちゃんが放った言葉から始まりました。その時私たちはPちゃんの今年の目標、「怒れるようになる」ということについて話していました。怒ることに抵抗のある私。なぜそう思うようになったのかなど色々やりとりしているうちに、下記の流れになりました。

Pちゃん「なんかさ、高ぶった感情を落ち着かせて話し合いをしようとしてもうまくいかないの。」
私「え〜そうなんだ、意外。なんでだろうね。」
C 「理詰めにみたいになっちゃうのかな。」
私「理詰めね〜」
Kちゃん「理詰めもそうだしさ、心が置き去りになるよね 」
私「心 … 」
Kちゃん「なんかダンスで言うとさ、振付は合ってるんだけど気持ちがのってないダンス、みたいなことだと思うんだよね」

ガーーーン!!!思わず天井を仰ぎました。確かにそうかも〜〜〜!!
脳みそを揺さぶられた感覚でした。


回想(自分のこと)

私はこれまで誰かに対し「怒る」という感情をあまり出してこないで生きてきました。感受性豊かで傷つきやすく、幼少期に怒られたのがとても怖い経験でした。なので「よくないこと、すべきではないこと」という認知が人一倍強いかもしれません。仕事だと感情向きだしで誰かと対峙するなんてのは、あまり良くないと思うのでそれはいいのですが、プライベート、特にパートナーとの関係でもそういったことからは避けてきました。心に沸いたイライラや怒りなどの感情のほとんどは心の中で蓋をするか、無理やりポジティブ変換するか、処理しきれずイライラするか、そんな感じだったと思います。でもこれでは当然うまくいきません。限界が来て「受け入れられない自分が悪い全て自分のせい」という感じで心身の体調を何度も崩してきました。
それに怒る、つまり感情を剥き出しにして相手にぶつける事は、とても幼稚で悲惨でぐちゃぐちゃで、それはそれはとても恥ずかしいことだと思っていました。

そんな自分ですが、転機が訪れます。元パートナーのむっちゃんです。彼は私が本当はどう思っているか、本音の部分を大切にすることが重要だと教え続けてくれました。お陰で、誰かとコミニケーションをとった際、自分の中にモヤモヤが浮かんだら、必要に応じてそれを外に出せるようになりました。

でも、なんだかイマイチ伝わりきらなかったんです。特に相手がむっちゃんの場合。あれ〜 おかしいな・・・不思議でした。感情に任せてぶつけてるわけじゃないのに、むしろ、わいてしまったイライラや怒りは自分でなだめてから、話し合いという感じで「さっき自分はこう思ったの、だからこう言う言い方はやめて欲しいの」と簡潔に伝えているのに。これだって私からすると精一杯の行動です、一生懸命言いづらい言葉を振り絞って、相手を傷つけないように伝えている。それなのに、なんかよくわかんないけど言い返される。「(あれ?傷ついたのは私なんですけど・・・?? )」一応は納得してもらい次からは気を付けるよと言ってくれるのですが、なんだか気持ちが晴れたような晴れないような。でもこれがきっと理想的なコミニケーション!自分が慣れてないだけ!とは思いましたが・・・でも、やっぱり薄く心の中にモヤモヤは残りました。


仮説(心に訴えかける)

で、さっきKちゃんが言ってくれた言葉に戻ります。「気持ちの入ってないダンス」、良い意味で大変ショックでした。気持ちの入ってないダンスは一体誰の心を揺さぶることができるんでしょう。
何の表現においても同じことが言えると思います。例えば歌。美しい歌声、上手な演奏は確かに感動するものがあります。でも、歌も演奏もそこまで上手くなかったとしても、訴えかけてくるエネルギー量がものすごいアーティストってたくさんいますよね。絵画や現代アートもそうです、なんでかわからないけど、心を揺さぶってくるものってたくさんあります。
じゃぁ怒りを伴ったコミニケーションの場合どうなのか。私が現状、上手に美しく踊ることはできません。やっと踊ることを覚えたという状況と言っていいと思います。
なので、自分もまずは下手でいいから、その場で持った感情を極端に殺すことなく、感情を大切にしながら「怒る」ということをしてみようと思ったのです。感じるままにダンスしてみようと思いました。

人間、理性的に振る舞うのが必ずしも正解ではないと思います。今の世の中を見ていると、すましていて理性的で綺麗な姿でいることこそ、正解で正義で立派で、さも自分が高尚な生き物のように錯覚している傾向にある気がしますが、残念ながらわたしたちは動物です。諦めましょう 笑 というかもっとポンコツに生きていてもいいんだと思います、きっと。

寄り道コラム  
 〜ドラマ『おいハンサム
‼︎』を観て〜

久しぶりに面白いドラマでした。今シーズン2を放送していて、6月には映画が公開されるほどの人気ぶり。内容は吉田鋼太郎演じるお父さんとその妻、3人の娘たちの人生を描いた家族の物語。娘のこととなると情熱的になるお父さんの姿や、伸び伸びと感情を発露させる娘たちの姿に、コメディ的な面白さと愛おしさのような感覚を持ちます。
シーズン1が素敵すぎたので一気に観てしまいました。私、こういう見方って滅多にしないんです、むしろドラマは毛嫌いするタイプです。ドラマは作り話で「そんな台詞や言い回しなんて現実ではないよ」とやや見下すような印象を持っていたので、あまり観てこなかったのですが、この作品はなんだか違いました。作られた物語ではあるんだけど、そんなに現実離れしていないような気がする。みんなそれぞれの物語があって、一見うまくはいってないように見えるんですが、でもなんだか幸せそう。というか、こんな風に生き生きと日々を過ごせたらいいのに、という憧れを持ってしまうほどの感覚です。
ドラマの中では度々、お父さんからの熱いメッセージが贈られるシーンがあるのですが、このメッセージもとっても情熱的で魅力があります。やっぱり心と感情がちゃんと乗ってると受け手の心にしっかり響くんですよね。心に響くエピソードがたくさんあるドラマです。来月の公開映画がとっても楽しみです。

ドラマ『おいハンサム‼︎ 』より、我が娘たちにメッセージを伝える、お父さん役の吉田鋼太郎。


実行(むっちゃんとの出来事)

「怒る」ということに関し、今度活かせそうな場面があったら勇気を出して、情熱的に踊ってみようと思っていました。すると早速その時が来ました。やはり相手はむっちゃん。彼とのLINEでのやりとりの中でです。

むっちゃんがとある申し出をしてきたんです。その内容についてはショックでしたし半ば納得しつつも、でも一方的だしヤダなぁーと思ったんです。泣けてきました。なので「うわぁ〜〜〜ん!」「わかるけど、イヤなもんはいやなんだも〜〜〜〜ん!」と言いました、LINEで 笑。初めてこんな伝え方をしました。説得も加え、それでも流れは変わりませんでした。「いいよ、じゃぁそうしたらいいじゃん!ふんだ!ダッフンダ ※!!」と更に吐き捨てました。 怒りと悲しみというのは表裏一体のものですね、ほんと…苦笑
そしたら「熱心に説得されたので」と、こちらの意向を汲んでくれたんです!こんな経験は初めてでした。やったぁ!!

ちみたんのスタンプもいい仕事をしてくれました。私の感情にちょうどフィットするんだよなぁ…

※「ダッフンダ」は志村けんのコント『変なおじさん』のオチに使われるセリフ。


結果と感じたこと(俯瞰的に見る)

感情を無理に抑え込まず、本音をその場で感じたままの言葉で表現するのはなんだかスッキリする感覚がありました。まずこれが一番の感想です。むっちゃんと健康的なコミニケーションが、初めてできた感覚でした。とっても体力を使いましたし、手元もブルブルと震えましたが、それでもとてもなんだか嬉しかったです。むっちゃんからも「元気そうでいいことだ」とか、私からの「強気でいくもん」言葉に対しては「強気は大事」なんてメッセージもあったくらい。活き活きと踊れたかも!と思いました。多分むっちゃんも言い返されるとは思ってなかったでしょう、付き合ってる時もこういうやりとり出来たらよかったのかもね、なんて言葉も彼からポロリ。

また、自分で言うのも恥ずかしいですが、この時の両者のやりとりはなんだか可愛かったかもと思いました。要は駄々をこねてるわけなんですが、自分の本音を幼稚な言葉ででも出せてました(面倒じゃないギリギリのラインであったことを願います)。でもそれって、カッコ悪くて弱い部分を曝け出す行為でもあったと思うんです。自分の中に潜在的にいる子供の部分を表に出せたということです。
これまでそれはタブーで理想的ではなくて、よくないこととして捉えていましたが、やりとりする相手や内容によっては出してもいいのかもと思えました。全然綺麗に踊れないくせに、最初からカッコつけようとするなってことかもしれません。
やりとりの最中は重くなりすぎないよう、ユーモアを交えたのもよかったと思います。(変なおじさん、ありがとう)


● 相手と意向が食い違った時の、ちょっと前までの私の考え。気になる方は下記の1月11日の記述を読んでみてください。これはこれで理想的ではあるんですが、段階として今のわたしにはちょっとレベルが高すぎたのかもしれません ↓


注意点

今回の体験を通し、後から思ったことがいくつかあります。ちょっと伝わりづらいかも知れませんが、書いてみます。

・違うテーマを持ってこないこと
仲が悪くなったきっかけから路線が外れ、あれよあれよという間に全然違う話に発展してしまったことって、ほとんどの人が経験したことだと思います。これってどちらか一方、もしくは両者が我慢に我慢を重ねた結果だと思うのですが、これやっちゃうと大体収集付かなくなります。なので、テーマは一個です。違うテーマに逸れてしまうのはしょうがないですが、ちゃんと最初のテーマに戻ってくるのがいいと思います。ひとつひとつ、ちゃんと解決しましょう。

・変な意地を張らないこと
先日こんな話を聞きました。その方の奥さまはテフロンのフライパンに金属製の調理器具を使って調理なさってたんだそうです。テフロン加工、はげますよね・・・ その様子を見て、ご主人、優しく理由も添えて別の調理器具で料理をしてもらうようお伝えしたんだそうです。でも奥さま、それがきっかけで機嫌が悪い状態が数日続いたんだそう。何がカンに触ったのかわかりません、別の理由があったのかもしれません。でも、事実として剥がれたテフロンは人体に有害なのでNGです。どれだけ前後に何かがあったとしても、素直に自分の非を認めたり、受け入れる姿勢は必要だと思います。

・同じ出力で迎え撃つ!
出力というのはわかりやすく言うならば、声の大きさというか、自分の主張の強さのことと言っていいと思います。むっちゃんは出力の強い人です、対する私は出力が元々弱いです。好きな人に対してはエゴが弱くなるんです。強く言えませんし、なんならこれまでずっと抑え込んできたタイプの人間。なのでむっちゃんとパートナー同士の頃、結構自分の中で折れてきたことがたくさんあったんです。「どうせ言っても変わらないし、むしろ言い返される。だったら自分が変わろう」といった具合に。(まぁそれはお互い様なんだろうというのは百も承知ですが。)なので、今回の怒るという感情に関しては、強く言い返してきそうな人に有効かもしれないと思いました。エゴ全開の人にはエゴ全開でいっていいってことです。逆に、そもそも怒れない人や、強い口調をしない人にするのはいただけない気がしました。それは相手を威嚇して萎縮させることに繋がることも大いにある気がします。自分にそんなつもりはなくても。


● 出力(エゴの強さ)についてはこちらを聴いてみてください。私が普段よく聴いているラジオ番組内の相談コーナーです。↓


最後に

と、思い浮かんだことを綴りましたが、正直何が正解かわかりません。私も道半ばです。あまりイライラしたくもないですし、可能ならなるべく人と衝突したくないです。
でも誰かとぶつかるなら、凝り固まる前のなるべく心が柔らかいうちに相手とぶつかった方がいい気がしました。ダンスをするように、陽気にステップを踏んでみる。そうすると「ダッフンダ!」のようにユーモアを入れ込む心の隙も持ちやすいのではないか? というのが今回仮説として得られたことです。

また誰かとのコミュニケーションで気づいたことがあれば、文章にしてみたいと思います。長文、最後まで読んでくださりありがとうございました。


この記事が参加している募集

#最近の学び

181,025件

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?