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大学で音楽サークルに入った話②

入部に至る


放課後、チラシを見つめながらサークル会館までやってきた。
即席仲良しグループの7名とともに。
名前くらいしか知らない女の子たちが、私も私もとついてきたのだ。
「民俗音楽研究部」というサークル名に少しひきながら、恐る恐るドアを開ける。10畳くらいの部屋に大きなベースアンプと3台ほどのギターアンプ、立派なドラムセットがあった。
壁にはマリスミゼルのポスターがはってあり、それを見た私は、ちょっと想像していたテイストと違うかも、と不安になった。

部屋の中央にはキノコカットと共に部長がいて、新入生を歓迎してくれた。部長は小柄でやせており、知的な雰囲気と清潔感のある崎山蒼志似の男だった。私はこの部長の佇まいから、ここは居心地が良い・・・と思った。壁に貼られたマリスミゼルと部長から感じるオーラにはかなりの違和感があったが、何かの間違いだと思って気にしないことにした。

少々雑談し、サークルの活動内容を説明され、部室をあとにした。
私はすっかり気に入り、入部しようかな~と考え始めていた。しかし、同行した即席仲良しグループの女子たちが口々に
「え、、なんかすごいオタクっぽくなかった?」「きもい」「やめたほうがいいよ~」と言い出した。
その中の一人に「サークルなら最大手の〇〇が良いって聞いたよ。みんなでそこ入ろうよ」と提案され、みんな口々にいいね!そうしよう!となっていた。
『横断歩道みんなで渡れば怖くない』精神。あいにく私はそういうタイプでは無かったので、あっさり断り、一人でさっさと民俗音楽研究部に入部を申し込んできた。

部名のひみつ

民俗音楽研究部、と聞いて一瞬、アフリカの部族音楽とか研究するのかなと思ったが、「民俗」とは日本語で「フォーク」。つまりはかつてのフォークソング研究会というわけであった。
とはいえ、1998年当時にはフォークソングを実践する学生はおらず、それぞれ思い思いの音楽を楽しんでいるとのこと。
大学が所在する都市にあるライブハウスで活躍するOBも数多くおり、特にハードコアを好む先輩が多く所属するのがこの民俗音楽研究部であった。

キノコカットと部長は当時3年生。この代はまた少し毛色が異なり、エモーショナルハードコア、もしくはアノラック、ガレージ、オルタナティブロックなどのメジャー寄りではない音楽を好む人材がそろっていた。
すなわちBECK好きならおいでよ、といったキノコカットの発言は間違いではなかったことになる。

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1998年という時代

この当時、正直バンドはあまり流行っていなかった。バンドやろうぜイコールちょっとダサいかも・・・という感じさえあった。
何しろギャルとギャル男がパラパラを踊るのが流行りの時代だ。サブカル寄りのバンドをやるとか、所謂スクールカーストの底辺扱いである。だが私は今まで生きてきて初めて同じ趣味を語り合えそうな人たちと出会い、胸の高鳴りを抑えきれなかった。
まさか大学入って早々、そもそもサークル活動もする気が無かったというのに、バンド活動を行う音楽サークルに入るなんて、我ながら人生何が起こるかわからないもんだなぁと思った。

部室は自由に来て使って構わないとのことだった。授業の空き時間や放課後、誰かが必ずいるからいつでも遊びに来ていいらしい。
毎日ここに来ていいのか!私はいきなり自分の居場所を見つけたような気持ちになりウキウキした。楽しい大学生活になりそうな予感がした。

つづく。

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