結婚はしなければいけないのか?

婚活に関する記事を執筆していると、しばしば「そこまでして結婚なんかしたくない」というお怒りのコメントを頂戴することがある。勘違いしてほしくないのだが、筆者は結婚したくない人を無理に結婚させたいと思って、このnoteを書いている訳ではない。日本もさすがに令和の世なので、個人主義で生きていきたい。結婚に興味がない人が結婚する必要はないし、従って本noteを読んでもらう必要はない、と思っている。

しかーし!それだけだと話は終わってしまうので、本稿では世の有識者があまり指摘しない、この問いに関して考慮するべき少し突っ込んだ話をしてみたいと思う。

1. 考えが将来変わる可能性がある

あなたが今「結婚に興味がない・したくない」と思っていても、5年後・10年後にあなたの考えが変わっている可能性がある。しばしばSNSでは、40代で急に子供が産みたくなった女性や、40代で急に20代の妻が欲しくなった男性を、嘲笑する投稿が散見される。まぁ年齢を重ねて考え方が変わるのは自然なことであり、バカにするのはどうかと思う。とは言え男女共に、若い方が婚活市場で有利なのは事実である。特に女性の妊孕性は年齢とともに不可逆的に漸減していく点は無視できない。

もちろん絶対後悔しない人生選択を重ねることは不可能である。人が認識できる範囲には限界があるので、当時は最善の選択だと思っていても、後に間違った判断だったと気づくことは多々ある。なので問題提起しておいて根本的な解決策はないのだが、自分の考え方や判断に変わりはないか定期的に振り返ってみることが人生には必要なのだと思う。

2. 周囲に反発することに囚われている

日本は集団主義の国なので、社会が正しいと考える価値観を個人が内面化してしまっている人々が多い。しかし自立心が強い一部の人々は、こうした社会の多数派が良しとしている価値観に反発したくなる。反発することは結構なことなのだが、周囲に反発することが目的化してしまうと、自分の本当の気持ちが分からなくなってしまうことがある。つまり結婚を促す周囲に反発する気持ちと、自分が結婚したいか否かという気持ちは、必ずしもイコールではないかもしれない。

結婚に限らず何か意思決定をしようとする時に、他人のアドバイスを聞けば聞くほど、何が正しいのか分からなくなることは少なくない。前述のアドバイスにも繋がるが、周囲の雑音を遮断して自らの心に問いかけてみる機会が必要なのだと思う。

3. 結婚制度へ反対することに囚われている

上記と似たような症状として、結婚制度に反対する気持ちが強いあまりに婚活を避けている場合がある。高学歴・高収入かつリベラルな女性にとって、日本の結婚制度はあまり魅力的でないという主張は理解できる。婚活はそんな婚姻制度に迎合することであり、リベラルな立場として許せない、従って結婚などしない、という結論に至る人もいるかもしれない。

筆者の個人的な意見で恐縮だが、婚姻制度の是非は抜きにして、生涯を共に生きていくライフタイム・パートナーの存在は大切だと思う。人は独りでは生きていけないし、老いては誰かに頼りたくなる。将来的には日本も事実婚が当たり前になる世の中になるかもしれないし、選択的夫婦別姓も実現するかもしれない。婚活を「パートナーを探す活動」と定義し直して、実践してみてはどうだろう?

4. パートナーの選び方が悪い

これは筆者も大いに反省しなければならないのだが、いざ婚活を始めても理想通りに相手に簡単に出会える訳ではなく、成婚への道のりは長く苦しいものになる。配偶者選びに難渋しているうちに結婚へのモチベーションが低下し、突然「私は仕事をバリバリしたかったんだ」とか言い始めて、婚活を辞めてしまう方が散見される。好きになる異性は結婚向きではないし、結婚向きな異性にはときめかない。結婚したいと言いながら、本心では恋愛をしたがっている。婚活を通じて自らの異性観を見つめ直す必要があるのだが、それには痛みが伴うし、そこまでして結婚したくない!とか言い始める人が出てくるのも理解できる。

これについては個人の人生選択なのでコメントし難いが、やっぱり繰り返しになるが、自らの人生にとって何が重要なのか省察することが大事だと思う。やっぱり結婚したいと思ったら、その過程が苦痛を伴うものであっても、逃げてはいけない。

結論

いずれにせよ結論としては、その時々で最善と思われる決断をするしかないと思う。また自らの決断を定期的に見直して、必要に応じて軌道修正することは大事だと思う。

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