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「神楽現象」とは何だったのか

「神楽現象」という言葉がある。

これは、おそらく、高校時代の漫画研究部の先輩少女たちの間だけで流行ったものだと思う。今のところそのワードでググってもそれらしきものはヒットしない。なんとなくできれば、これを読んだ人らが草の根運動でミーム化してくれてもいい。だが、ひっそりとしたムーヴメントであるとありがたい。ただ、その名称しかモノがないのである。

部室(第何物理室だったであろうか)で原稿なりらくがきなりをしているときに、先輩たちのおしゃべりを漏れ聞いていたときに初めて聞いた言葉だったと思う。私からは「それ、なんですか」などとは言葉に出してたずねるなどはしなかった。あとから、先輩たちが、卒業後も漫研のような活動(同人誌のようなものを作るために原稿を出し合う。即売会に出したりする予定はなかったらしいが)を続けるためのサークルの名前の候補に挙げてもいたのが「カグラゲンショウ」である。

今になって、昔描いたイラストなどのファイルを眺めていたときに、漫研の部誌のコピーが目に入り、先輩のひとりのフリートークのページの、イラストの中で少年が着ていたTシャツの文字から、あのワード「神楽現象」を思い出したのである。

神楽で今ざっとググったのだが、お面をつけたりつけなかったりしながら、音楽で踊る神事である。

なぜ神楽なのであろうか?たまには踊りたい、いや、いつも踊っていたいような鬱屈から、なにかの「現象」に見立てて、それを発散したい、当時の少女たちの内なる欲求から来たのであろうか。「神楽」という言葉の美しさと、「現象」という言葉の生々しさのような、または科学的で時にSFのような、科学と非科学のあわいのようなものの雰囲気を演出したくて、発明された「神楽現象」という一種の呪文を編み出したということなのか。乙女たちの想像、創造、妄想。秘密の呪文。唱えてみれば何か起こりそうな、テクマクマヤコンやマハリクマハリタ、ピリカピリララ・ポポリナペペルトや、スカイミラージュ・トーンコネクトのような。

お面をともなう場合の「神楽」は一種の「仮面舞踏会」、「マスカレード」であるかもしれない。私たちは社会に馴染むために、地位や立場、建前などの見えない「仮面」をわりと人生の初期から被り始めている。加えて、コロナ禍によりマスク文化はなかなか終わらない。仮面をつけ、社会という舞台で、悲喜こもごもに踊り続ける。人生そのものこそが、「神楽現象」なのかもしれない。



彼女たちに限らず、私も、老いも若きも、なんらかのムーヴメントを、「現象」を起こすことに憧れているのだろう。なにか一花咲かせたい。社会現象を起こしたい。有名になってみたいし、歴史に残りたい。語り継がれたい。SNSならバズりたい。祭りのように。花火の一瞬でもいいから輝いてから散っていきたい。

日常がかけがえのないものとはいえ、ムーヴメントに絶えず人は憧れるし、時と場合によっては命すら巻き込んで実現させようとしてしまうのも人間である。日常がなんの変哲もないものだからこそ、「祭り」の存在は輝きを増すのだろう。ハレとケである。ネットやSNSにより「炎上」や「バズ」という名の「祭」は常態化し、常に何かが起こり、なんとなしにネットのない時代以上に騒がれている。コンテンツやコンテンツ化したものの消費速度もあまりに速い。

誰もが実感しているようなことをただつらつらと書くのはなんだかいかにも芸がない。だからここでこのエントリーは終いにしようと思う。

先輩たちとは、私の高校卒業後に喧嘩別れしてしまったし、先輩たちも散り散りになってしまったかもしれないし、あるいは一部の二人や三人だけでも付き合いが残っているのかもしれないが、どこにいるかもわからず音信不通である。私がこういう場所に書く思い出話の常套句ではあるが、

達者であろうか?

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