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【ブラック研修】極端な思考はむしろ思考停止している

「極端から極端へ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
組織の改革や自己啓発的な行動改善における文脈でよく語られる言葉です。

筆者は、とある研修でこの言葉を聞き、今、振り返ってみるとこう思います。
「それってむしろ思考停止してないか?」
当時はバリバリ信じていたので文字通りの信者でしたが。(後述します)

転職活動が当たり前になった現代において、新入社員研修を受ける延べ数は今後、右肩上がりで増えていくでしょう。
その中には危うい研修も必ずあるはずです。
ヤバいと思った時に大切なことは、そのヤバさを言語化して思考を整理することです。
思考が整理できていると自分に危機が迫ってきた時に冷静に対処できます。
人間、焦って悪手を打ってしまうという習性は、昔も今も将来も変わることのない普遍性を持っているといえるでしょう。
この記事では「極端から極端へ」をキーワードとして、筆者が感じた「ヤバさ」を言語化し、あの頃の状況を整理してみようと思います。

読んでいただければ、ヤバい会社や宗教にはまってしまう過程が理解でき、自己防衛や大切な人が巻き込まれそうになった時の一助になると思います。

「極端から極端へ」の意味

「極端から極端へ」を主張していたその研修ではこのように語られていました。

「人間、行動を変えようとすることは素晴らしいことです。
今日、この場にいらっしゃった皆さまには大きな可能性があります。
なぜなら、変わりたいと思い、この場に参加するという行動を実際に起こしているからです。
世の中の大半の人は行動すら起こすことをしません。
この場に参加している方は今日、確実に変化をしていると言えます。
しかし、人は他人の変化を観察する動物ではありません。
大抵、自分のことで精一杯です。
あなたが自分を変えようと一人で決心したところで、行動を変えたところで、気がつく人はおそらくいないでしょう。
せっかく変わろうと決心したにもかかわらず、周りが認めてくれないのであれば、あなたは次第に不満を抱くようになります。
そうして、次第にモチベーションが下がり、結局元の自分に戻ってくるのです。
元のあなたが嫌だから、変わりたいと願うから、変わらないと将来に不安を感じているからあなたは今日、ここにお越しになられたわけですよね。
でしたら、周りに認知してもらえるくらいにあなた自身が変わる他ありません。
周りに認知してもらえるようになるためには極端に行動を変えてちょうど良いくらいなのです。
だからこそ、大切なのは「極端から極端へ」という精神なのです。」

文面で見ると、ほぼオカルトであるものの、その場に居合わせるとなんとなく納得してしまうのが、こういう研修の巧妙なところでもあります。
なぜ納得してしまうのか次に説明します。

一定の納得感を感じてしまう要因

その場ではなぜ納得してしまうのかを考えてみて、次の要因があったのではないかと筆者は考えています。

  • 変わろうと努力している自分を肯定してくれる

  • 実感を伴う事実が含まれている

  • 言う通りにしないと現状から抜け出せないと恐怖心を煽られている

順番に説明していきましょう。

変わろうと努力している自分を肯定してくれる

今の自分をありのままで受け入れられる人なんて、それほど多くありません。
みんな、このままではいけない、とぼんやり感じていて、なんとなくモヤモヤするけどどうしたらいいのかわからない人が私を含め、大半だと思います。
そんな中で、今の自分を肯定されてしまうと、肯定してくれた人のことを信用したくなるのが人情です。
自分を肯定してくれる人を疑うことは自分を疑うことにつながるわけですから、そこに納得感が生まれるのも自然なことです。

実感を伴う事実が含まれている

「人は対して、他人に興味がない」
「認めてもらえないとモチベーションが下がる」
といった、これまでになんとなくモヤモヤしていた感覚を言語化してもらえることで人は納得してしまうものだと筆者は考えています。
ツイッターなんかで、独善的インフルエンサーがよく使っている手法ですね。
納得して、自身が言語化できていないモヤモヤを解決してくれそうな雰囲気を話し手に感じると、信用したくなるのもこれまた自然な感情です。

言う通りにしないと現状から抜け出せないと恐怖心を煽られている

先ほど肯定してくれた後に、このままではまた元の自分に戻って、未来は変わらないと断言されてしまうと、人は不安を感じます。
ましてや、これからどうしようか悩んでいる状態で、将来への恐怖を煽られてしまうと冷静な判断なんてできないですよね。
そんな中で解決策(っぽいもの)を提示されるとそれにすがりつきたくなるのは、これも自然なことです。

以上、3つをまとめると、
「人が感じる自然な感情を乱高下させる」ことで
冷静な思考を奪ってしまうという点が非常に巧妙といえます。

極端に走った研修生(筆者自身)の具体例

非常に滑稽ですが、筆者自身、この研修を受けた後、見事に影響されてしまいました。
「極端から極端だ!」と、当時息巻いていたのを覚えています。
当時の私の行動は下記の3つです。

  • 声量のボリュームがバグる

  • 急に感謝の手紙を書き出す

  • 価値観を他人に押し付け出す

声量のボリュームがバグる

極端へ振り切ってやろうと気合が入っているものですから、まずは声が大きくなります。
今、振り返ると虚勢を張って、相手を威圧しようとしていたのかもしれません。
当時の上司にも恐怖を感じていましたし、研修の成果をアピールしなければ、という意図もあったと思います。
なので、一番手っ取り早く変えることができる声量から変えていきました。
しかし、物理的な距離感に対して、逸脱したボリュームの声量で話し続けるということは続くものではありません。
明らかな違和感を自分で感じ、すぐに元の自分に戻しました。

急に感謝の手紙を書き出す

研修の一環で、親にこれまでの感謝の手紙を書きました。
感謝を伝えるのは、素晴らしいことであることに異論はないものの、書くに至るまでの文脈が私の親には伝わってはいない中で、突然、感謝の手紙が届いたら、嬉しさよりも恐怖を与えていただろうと思います。
ただ、これも「極端から極端」思考でやらなければ、変われないと当時の自分は信じているものですから、独善的に手紙を送りつけました。
今でもたまに話題になりますが、母は当時、本当に心配したそうです。

価値観を人に押し付け出す

一番タチが悪かったのは、価値観の押し付けだったと思います。
「極端から極端」思考を叩き込まれているものですから、他人にもそういう行動を促すようになります。
なぜなら、自分は正しいと信じ込んでいるからです。
自分の中では善意で行っているつもりのため、ひどい時には行動を改善しない人のことを非難するようになります。
一番タチの悪い行動にも関わらず、脱するにはそこそこに時間がかかったと記憶しています。
周りの人間関係もうまくいかなくなり、悩むようになりました。
幸い、筆者自身、読書が趣味だったので、好きな本や影響を受けた本を読み直すうちに徐々に「通常」の感覚を取り戻せていったように記憶しています。

本当に変わろうと決心したのなら

より良く変わろうとすることは決して否定されることではありません。
向上心を持ち続けることは、良い人生を送ろうと考える上で欠かせない資質だと思います。
ただし、言葉の力だけで表面上だけ変わろうとすることは不毛な戦いです。
極端な主張はブラックな研修だけではなく、SNS界隈でも散見されます。
お金、健康、美容、他人への誹謗・中傷、働き方、等々、人間の根源的な欲求に訴求するような主張が飛び交っているといえます。

極端な主張に飛びついてしまうのは、即席麺を食べ続けるようなものです。
一瞬は満たされますが、蓄積されると体に害が及びます。

本当に変わるんだと決意を新たにしたのなら、

「自分がどういう自分でありたいのか」

を明文化してからにしましょう。

そして、現実的な手段で今の自分にできることが何かを検討しましょう。
理想を掲げることはすぐにできますが、そのために今、必要なこと・できることを実際の行動に移しましょう。
「困難は分割」すれば、会社の研修やセミナーに促されなくても、自然に物事は前に進んでいくはずです。

他人から影響を受けるのではなく、自ら主体的に行動を起こす気力・体力・知力を備えていることができれば、それだけで案外幸せなんじゃなかろうかと思います。

何かご質問や気になった点がありましたら、コメントいただけると嬉しいです。
ではまた。



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