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死にたくない理由と生きたい理由

この前、「恋つづ」を夜見ていて、
娘の結婚式に参加したい女性。でも体調が思わしくなく、医師に結婚式の参加は反対されている状況で、結婚式に参加できないのであれば手術は受けたくないというシーンで

「なんのために私は生きるんですかね?」というセリフがありました。

この言葉が心に残っていて、今日のふとした瞬間にこの言葉を思い出して…
「生きたい理由」って難しいよな。と思いました。と、同時に「生きたい理由」は自分ではなく案外他人のためだったりするのかな?とな〜んとなく思いました。

あくまでも私の感覚なのですが、
「死にたくない理由」と「生きたい理由」はイコールではないし、
「死にたくない理由」は私の中にあって、
「生きたい理由」は私と私以外の何かがつながっているような、
私と外の世界にまたがっているような、そんな風に見えました。

「生かされている」という言葉を聞いたことがあるような気がしますが、
本当に人間が生きていくということは「生かされている」というような感覚なのかもしれないね。

こうやって、コロナのように誰かに思うように会えなくなったり、大切な誰かを失ったりすると「死にたくなる」のではなく、もしかすると、「生きる理由」が見えなくなるのかもしれないなね。

そして、人間ってすごく過去からの影響を受けて生きているように見えるけど、
(生きるかどうかの判断や描き方はもちろん過去の自分の積み重ねだけど、)
「生きる理由」を想像するときは、自分で想像すると、どこか未来が多めの内容が多くて、興味深いなと思ったし、ちょっといい感じに描いているあたり人間可愛いな。と思いました。

と、同時に、未来を描くことはいくらでも綺麗に描けて自由なものなのに、
自殺する方はこの未来さえも描けないのかな…って思って、人の心ってすごく難しいなとちょっと胸が痛くなりました。

私の死にたくない理由は「もっと笑いたい」し、「いきたい飲食店・国めっちゃある」し、「好きなアーティストに会いたい」いっぱいあります。
私の生きたい理由は「周りの人ともっと笑ってたい」ですかね。(う〜んもう少しあるような気がします。でもそんな感じ。)

死にたくない理由と、生きたい理由は何ですか?

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