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2024年春が終わり、半分が終わる

明日から7月ってことは、今日で今年半分終わりってことだよね?
30代に入ってからの日々、ほんとうにあっという間じゃない?
久々に会えた友人と、身体に良さそうなカレーを食べながらそんな会話をした。もう人生の半分以上友達。昔は仕事終わりに合流して、お疲れ!!ビール飲まないとやってられない!!と勢いよく乾杯してたけど、今日はランチの後ゆっくりスコーンも食べて、じゃあお互い健康でいようね~と穏やかに手を振ってバイバイした。来年海外旅行、無理でも国内旅行に行く未来の我々を想像すると相変わらずアクティブ・エネルギッシュ!な雰囲気はあるけど、20代の頃とは違う落ち着きも出てきて、やっぱり大人になったよな~とぼんやり思いながら帰路についた。

時の流れ
気づけば結婚して半年経ってるし、32歳になって今日でちょうど2か月が経ったし、フルマラソンまで残り4か月を切っている。結婚式もそうだ。え……え…………
お気に入りの春服着たっけ…?え……お気に入りの春服ってどれだったっけ………春に毎年弾いてるピアノのアノ曲、今年は弾いてないっけ……
あれ、チューリップ見たりした……?家の前のモクレンは…………?

不調に陥らなかった稀有な春
春があっという間に去っていったのは仕事が忙しかったからなのか、健康体を手に入れたからなのか。体調を崩している暇がないほど忙しかったともいえるし、身体が丈夫になったからがっつり働けたともいえる。
子どもの頃は喘息の季節、社会人1年目の3月にうつになってからはメンタル&気圧の変化がしんどい季節として、誕生日とGWがあることでなんとか最悪の事態からは距離を置きつつも、春の数か月は圧倒的に厳しい季節という認識があった。去年もまさにそんな感じで、申し送りのnoteを書いていたことは記憶に新しい。
でも今年ついに、自分の中の【春=好きだけど無理】を覆すことができたみたい。前回も書いてたけど、年始から続けている習慣たちに支えらえて乗り越えることができたんだと思う。
①朝はプロテイン摂取(繁忙期はグラノーラ食べるの諦めることもあったけど、プロテインだけは絶対飲んでいた)
②夜は鉄&コエンザイムQ10サプリ飲む(ギリギリ人間にはハードルが高い、なくなる前に次を買う習慣がついたのは大きい)
③土日のどちらかは5-10kmのランニング(一緒に走ってくれる人が現れてよかった)
④アルコールに頼らない…笑(店に行くのはあまり制限せず、基本的に平日はノンアル、金土も多くて2杯くらいにした)
書いてみると③以外はそんなに大変じゃないんだからもっと前から習慣にできればよかったんだけど、①②は健康を金で買っても良いと本気で思えるようになってからじゃないと難しかっただろうし(数年前の給料ではそうは思えなかっただろう)、④も居酒屋に行ったらお酒を頼まないと申し訳ないというマインドや、男性の前ではよく飲む女でいることが楽だった時代があったので、良くも悪くもまわりにどう思われるか、思われたいか<自分がどうしたいかで行動を決められるようになった今だからこそ叶ったことかもしれない。
喘息になったのは確か小2くらいなので、雑に数えて25年くらいずっと春が不調だったとすれば、今年の春は奇跡そのもの。
心身が健康だとこんなにもやりたいことがやりたいようにできるのか、と驚きすらあった。

その代償があるとすれば
でも、タフになったことで得た不安もある。
一言で言えば、強くなりすぎてしまうこと。
あまりうまく書けないけど、不調によって享受してた悔しい、切ない、みたいな感情がなくなってしまい、どんどん強い方にいってしまったらどうしよう、という気持ち。人間はそんなに簡単に変わらないと思うけど、最近昇進させてもらったこともあり、数字に対して、事業に対して、組織に対して、これまで以上にストイックにやらないといけない、やりたい自分が存在していて、まわりに優しくあること、余白を面白がることについて、ちゃんと意識しておかないと、知らないうちに手放して、そのまま忘れてしまいそうでこわい。
というわけで、自分の変化を真っ直ぐ見続けるためにも、このnoteは続けていきたいな。あと今日行けてよかったけど、わけのわからないアートを見に行くとか、太刀打ちできないほどの大自然に圧倒されに行くとか。

家族サービス」使っちゃう側の気持ち
終わった話を書いていなかったこの数か月は、去年の今頃の自分と比較してかなり仕事に捧げた数か月だったこともあり、残念ながら細かい記憶がほぼないのだけど、Xの下書きに残っているようなちょっとしたモヤモヤは一度整理しておきたい。
ここ最近のテーマである、子どもを産み育てたいのか、その場合いつなのか、について考える中で、今と同じような働き方ではまずそれは無理という前提はまあ置いておいて、このままいったら、子どもと向き合う時間、家族で過ごす時間を「家族サービス」と感じる瞬間が来そうなこと、そしてその自分にそうとう苦しむだろうなと思ってゾッとした。
実は最近、パートナーが私の隣で寝ないという選択をとった(その選択をさせてしまった)ときもものすごく反省したけど、仕事において自分の代わりはいるけど、家族や友人関係において自分の代わりはいない、って、頭ではわかっているはずなのに実践するのは今の私にはかなり難易度が高いことなんだと思ったり。
少し前までは、「家族サービス」という言葉を悪気なく使っている年上の男性たちに嫌悪感を抱いていたけど、それはその人たちだけの問題でなく、男は外で稼ぐ・女は家事育児をするという未だに根本的に変えられていない構造自体の問題なのかも、と思って、その言葉を使ってしまう側に少し同情したり。

という感じで、いくらでも働けるようになった今、時間の使い方をよく考えて生きていかないと、いつか本当に大切なものがわからなくなっちゃうよ、という未来の自分への警鐘記事でした。


誕生日にディズニーに行けたり、ラーメン→サウナ→寿司という新しいプチ贅沢デートコースが生まれたり、お互いの出張が落ち着いたタイミングで録りためてたバラエティーを一緒に見て爆笑したり、そういう幸せのおかげで元気に走り抜けることができたので、自分の仕事が忙しい中、隣でずっとひーひー言っていた私を笑わせながら支えてくれたパートナーには感謝しかないけど、それをずっとさせてしまうのは本意ではないからな。

書き始めたときはこんなに反省文っぽい感じになるとは思わなかったけど、なんとなく引っかかってたものが多少なりとも言語化できたのはよかった。。7月は仕事が落ち着くタイミングではあるので、少し先の未来についても考える時間にしたい。
あと今年の夏もたくん野菜の揚げ浸しをつくりたい。

写真は始発に乗らないといけないくらい大変だったとき、4:30にベランダから見えた空。電線が五線譜みたいでよかった。

おしまい


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