やりたいことと結果論
その日は、ピクニックに最適な日だと言えた。
暑すぎず、寒すぎず。薄手のワンピースと春らしいアウターを合わせ、私は家を出た。
会うのは、以前勤めていたアルバイト先で出会った友人たちだ。それぞれ大学の最終学年を迎え、忙しいながらも充実した日々を送っているようだった。そのあたりの話が色々できるだろうかと考えながら、私は電車に揺られていた。
駅を出たところで待ち合わせ、ピクニックに必要なものを買いそろえて公園に向かった。乾杯をし、会わなかった間のことを話し始めた。
ひとりは、大学の専門そのままの職業に就くようだった。めぐり合わせから就職先も決まり、アルバイトに忙しい、とのことだった。充実していて、忙しくも楽しい様子だった。
もう一人は、演劇の道に進むようだった。卒業後は、アルバイトをしながら演劇の勉強を続けるようだ。演劇をするのが本当に好きで、楽しいと目を輝かせながら教えてくれた。
そこで私は、以前思ったことをつらつらと話し始めた。
結局は、結果論だ。
芸人、俳優、小説家。
みんな努力をしている。10年下積みをして、ひょんなことから人気が爆発し、軌道に乗る。人は口々に「あの10年があったから」「さすが10年下積みしてた奴は違うなぁ」と言う。
でも、もっと長い時間をかけている人もいる。「売れた」という「結果」を見て、その土台がどうであったかが判断される。
それが正しい努力であったのか否か。
どれだけ努力しようと、一瞬の運で自分より上に行く人もいる。
同じ10年でも、売れている人は「10年も下積みしたからすごいんだ」と言われ、売れていない人は「10年もやってるの?向いてないよ、辞めたら」と言われる。両者の違いは「売れているかどうか」、それで金銭を得られるかどうかだ。
それがなんとも言えない。私はそう言った。
でも、結局は結果論だよ。努力の方向だと思う。
演劇の世界で生きると決めた友人は、そう言った。
「運」も、あると思う。
よく言う。チャンスの神様は髪の毛が無いのだと。
「結果」良かった方向に努力し、そして待ち構える。
自分で、取りに行く。
やりたいことも、自分でつかみに行く。
やりたいことがたくさんあると言いながら、自分は結局待っているだけ、周囲を羨んでいるだけだと思い知った瞬間だった。
どちらが「正しい」方向なのかは分からない。その方向に進んだ結果、途方もない道のりに絶望して、戻って近道を探してしまうかもしれない。
でも、遠いかどうかは行ってみないと分からない。
もしかしたらすごくすごく、遠いかもしれない。かと思えば案外近道かもしれない。
それもどれも、自分で決めることだ。自分の選択だ。
Amazonのレビューも、アマプラのレビューも、人は色々なことを言う。それを見て、買うか買わないか、見るか見ないか決めるかもしれない。
でも、結局は買ってみないと、見てみないと分からない。誰かにとってはいらなくても、私にとってはとても必要なものかもしれないから。
やりたいことがある。
たくさんある。
なりたい理想がある。
それも、たくさんある。
きっと全てを得るには私の一生ではとても足りない。
でも、1つ選べと言われたならば、私は文章を選ぶ。
書きづつけていたい。文字を綴っていたい。
そうして得られるものを大切にしながら、私は私が見える範囲のものをすくい上げ、取捨選択し、歩いていく。
さて、この人生。まだ20年程しか生きていない。
これからどうなるだろうか。
死の間際に振り返って、「まあまあだった」と思えればいい。
それがたとえ、明日だとしても。
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