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真空社会

こんばんは、こねこです。

薄々感じられている方もいらっしゃるとは思いますが、私は今の仕事が好きではありません。

なんならストレスで高熱を出すくらいには仕事を拒否しています。

なぜこんなにも息苦しいのか考えてみました。

結果、この社会から無駄という無駄が殆ど消えつつあるからだと気づきました。

無駄がないということは、高度な知識と高い能力が要求されるようなことしか残っていないということ。

つまり、働いたことのない新卒には酷な社会になっているということ。

私の会社はIT技術を使って色んな会社の事業効率化をはかっています。

事業効率化=無駄をなくす

私の会社が私を苦しめている要因の一つのようです。


無駄って空気中の二酸化炭素みたいなもんなんだと思います。

ありすぎると困るけど、全てなくなると困るようなもの。

世の中の事象のうち、0.03%くらい無駄が存在していればちょうどいいんでしょうけど、今はきっと0.01%くらいに近づいているはずです。

無駄をなくすということが目的になってしまい、無駄をなくした先に何をやりたいかという本来の目的を見失っているように思います。

だから、無駄を省いた後、何かしら高度な技術を要求されるような仕事をわざわざ作り、結局効率化前と変わらぬ忙しい日々を送る。

これに何の意味があるのでしょうか。


藤原麻里菜さんの無駄作り、私は好きでTwitterをフォローしています。

無駄だなーと思うと同時に、悲しくもなります。

無駄作りという言葉を使わなければならないほど、この世界から無駄がなくなってしまった。

その事実にくらくらしてしまいます。

無駄を作らなければならないほど、真空になってしまったこの社会。

一体誰が空気を入れてくれるのでしょう。

きっと他人任せではダメですね。

自分が息をする方法、息ができる環境。

そういったものを探さなくてはいけませんね。

まずは行動を起こす。


落語に出てくるかつての江戸時代の人々のように、お金がなくても、今ほど便利じゃなくても、笑って死ねる人生を送りたいものです。

江戸時代はかなりリサイクル社会で無駄はなかったように思えますが、きっと仕事は無駄が多かったはず。憶測ですが。

生まれる時代、間違えちゃいましたね笑笑



気負うことない、空気のような場所であってほしい。 記事に共感していただけたら、 サポートしていただけると幸いです。