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シェアハウスと同棲の違いについてざっくりとした所感

先日、沈没ハウスという名前の、私がかつて住んでいたシェアハウスのさよならパーティーに行ってきました。

7年間も住んでいたというと割と驚かれ、昨今のシェアハウス事情や、「どうして引っ越したのか」などについて話していると、いろいろ気づきがあったので自分メモ。

沈没ハウスは、存在を知ったのは2010年頃。当初は共同で子育てを行う「共同保育」が行われていて、前々から面白い活動であり、ムーブメントだと思っていたが、ちょうど私が引っ越したいと思っていたタイミングで空室が出た。古くて小さい部屋だけど工夫して住んで、家賃の安さと立地がとにかく良かった。気の合う同居人さんと色々話したりしたのも楽しかった。立地のおかげで、フットワーク軽く色々出かけることができたのもよかったと思う。

沈没ハウスを出ようと思ったのは、直接的には彼との同棲開始ではあるものの、今の彼と付き合う前に「シェアハウスはなかなかいいけれど、好きな人と住めたらもっと最高だろう」と思ったことがある。そうやって一緒に住めるようなパートナーが欲しいというモチベーションで、色々頑張っていた時期もあった。

結果、同棲は実現されたわけだが、シェアハウスに比べてかなり生活は最適化された。

シェアハウスだと、何かをするにあたって住人の合意形成をしないとと思うと、抜本的なことがやりづらくなることがある。例えば、何かしら壊れている家電の買い替えについても、何を買うのか、誰が買うのか、お金をどうするのかといった決め事がなかなか決められず、数か月ほど放置されることもあった。ルール的なものも、個々人の対応できるOKラインで最小公倍数的に作られたり、作られなかったりする。割と「他人を気にしない(干渉しない)」ことが求められるつながり方だと思った。

一方、同棲だと、シェアハウスの住人と比べて経済的なつながりがある。例えばうちの場合は別財布ではあるものの、どのくらいお金を出せるかといった感覚は確認しあえているし、おそらくだけどどちらかが経済的なピンチ、もしくはリスクを取って何らかのチャレンジをしたいという場合も、ある程度は運命共同体的なところがあるだろう。どういう状況のなか、設備投資やルール作り、日々の家事分担などの決め事が早いので、何かをするのに効率が抜群に良くなった。今は、シェアハウス生活ではできていなかった自炊や定期的な掃除ができている。

同棲は、シェアハウスの上位互換だという感覚がしばらくあったが、沈没ハウスでいろいろな人と話して「パートナーとだけ住むと閉じちゃうから…」という話を何人かから聞いた。確かに話が早くて効率が良いのだが、何かの能力が退化してしまっている感覚もある。それは自分とは異なる他者を自分なりに受け入れる能力だったり、何か起こったときの対処する力だったりするかもしれない。

周りのシェアハウスがクローズしているなか、ムーブメントとしてシェアハウスに関わるのはもう後進に任せた(誰かを育てたわけでもないが……)という気持ちもあり、うちのケースも相手がいることなので、シェアハウスに戻ったり実践したりすることはないだろう。しかし色んな人がすでに実践している研究テーマだとは思うけど、パートナーシップのさまざまなあり方はちょっと見てみたいな。特にシェアハウス経験者のパートナーシップあたりに関心があるので、該当する方に出会う機会があれば色々話を聞いてみたいと思う。

お読みいただきありがとうございました! よかったらブログものぞいてみてください😊 https://kondoyuko.hatenablog.com/